トランジット・レターズで半生を振り返ってみたら、当時の記憶が蘇りすぎて正直ビビった件

トランジット・レターズで半生を振り返る

明日、第3期の募集をかける「自分を徹底的に知る数秘」は90分×全3回のこってりプログラム。写真はその3回目に取り上げる「トランジット・レターズ」と呼ばれる珍しいチャートの一部です。恥をしのんで、自らのプライベート情報さらけ出してます。何だよ「金しばり多」とか。笑

これはごく一部だけ切り取ってお見せしていますが、実際はA4×2枚で100歳!まで書き込める仕様になってます。まーあんまり遠い未来のチャートを作ってもリアリティを感じにくいかとは思いますが、80過ぎて突然これまで全く出てこなかった数字が並んだりするケースもあるので、つい計算しちゃう。うひひ。

でもこのチャートの真骨頂は、何と言っても「これまで」を振り返るプロセス。言ってみれば「自分年表」を作る作業なんですが、セッションが進むにつれ、皆さん驚くほど鮮明かつピンポイントに思い出されます。

ちなみに、これまでで一番古い記憶は?と尋ねて返ってきた答えのうち、最年少記録はなんと1歳!そこまでじゃなくても、数十年前のエピソードをまるで昨日のことのようにスラスラと語り出す人の多いことよ。どうやらチャートに示された「数のキーワード」が、文字通り記憶の扉を開けるカギになるみたいです。

写真では「アルファベットと数字」が並んでいるように見えますが、実はこれ、全部数字として見るんです。A=1, B=2… というように変換します。タテに3つ並ぶアルファベット(を変換した数)は、それぞれ上から「フィジカル・トランジット」「メンタル・トランジット」「スピリチュアル・トランジット」として読み、その下の数字は3つを合計して一桁にした「エッセンス・ナンバー」で、その年の全体的なテーマを表します。

「その年のテーマ」と聞くと数秘では「9年周期」がお馴染みですが、この「エッセンス・ナンバー」も合わせて見ていくと、さらに理解が深まるというか、むしろこちらのチャートの方が具体的なエピソードとのシンクロが分かりやすいという人も多いですね。

特に生まれてすぐ〜30歳前後の「第1ピナクル」は、多彩な経験を重ね、その後の価値観や行動パターンのベースとなる大切な時期。ピナクル&チャレンジや9年周期だけではピンと来ない、細かな記憶を辿れるトランジット・レターズを使う方が、有意義な「再発見」に繋がりやすいようです。

わたし自身も改めてブログに載せる写真用に書き起こしてみたんですが、ここに書ききれない&万が一写り込んでは困るレベルの超個人的な、そして今現在にも繋がるエピソードがバンバン蘇ってきて正直ビビりました。笑

例えば「小2から中3まで続く7」とか「大2から就職を経て会社辞めるまでの14年間、27歳を除く13年ずーーっと9」とかね、わたしの場合同じ数字が長く続くパターンが比較的多いんですが、今思えば「長く続く」必要性がちゃんとあったんだなーと分かります。結構な修行してきたわ、わたしの子ども時代。よしよし、がんばったな。と、自然に労いと慈しみが湧いてきたりして。

トランジット・レターズの回は、予定の90分では足りない勢いのクライアントさんも多いんですよ。「楽しい」思い出ばかりではなくても、不思議と皆さん、スッキリされてます。一種の達成感もあるみたい。自分の半生を一気に思い出す機会ってそうそうないですもんね。とっても濃密な時間になりますよー

通常のコンサルでは取り上げないチャートもテンコ盛りの「自分を徹底的に知る数秘」、好奇心と探究心旺盛なかたにオススメです!「ものすごく濃くて大満足」「今のタイミングで受けられて良かった」とのお声も多数いただいています。次はあなたも、ぜひ。

数秘界の「激レアさん」は、11でも22でもない、この数字!マジでめったにお目にかかりません。

数秘2のシンボル的なカードいろいろ

ちなみに11と22だったら、11のほうがよく出ます。これは単純に数学的な確率の問題で、足して11になる組み合わせ(2+9, 3+8, 4+7, 5+6)のほうが、生年月日や名前(の数字)を足す時に出現しやすいからなんですが。

同様に1〜9の数字も「足してその数になる」組み合わせはそれぞれいくつか存在します。が!唯一この数字だけは……

足して【2】になる組み合わせは、20→2しかない!

のですよ。ゆえにブッチギリで「激レアさん」。本当にめったに登場しないので、お見かけすると内心テンション上がります。

もちろん11も「足せば2」になるので、マスターナンバーを使わない派の人からは異論が出るやもしれませんが、20/2って「純粋に2の要素しかない」意味でも、わたしにはレア感があるのですよ。まあ数秘的には、出現率がレアだから何か特別ってこともないんですけど。

そして2には「控えめ」な印象があるからか(ナンバー2とかね。「陰で支える」感)チャートに2があると分かった時の、ご本人とわたしとの温度差もお約束。笑

でもでもね、この世界に【2】の要素が不足すると、ものっすごーーくギスギスした居心地の悪い、世知辛いワールドになりますのやで。2のエッセンスは人の世の潤滑油。上の写真は、わたしがセッションで使っている「OSHO禅タロット」と「Key of Actionカード」の中から、2の質に通じると思われるものをピックアップしてみたものです。

受け取る・繊細に感じる・つながる・寄り添う・ともに行く……2は、調和を生み出し、保ち続けるエネルギーの象徴です。

繊細であることは「傷つきやすさ」に通じます。加えて依存でも受け身でもない、健全なつながりを維持することは、相手の気持ちを本能的に「読み取ってしまう」2の質を持つ人にとって、決してたやすいことではないでしょう。

屈強なわけではない、でも、しなやかな強さを育む周波数。特に軌道数に2を持つ人は、文字通り「生涯を通して」2のエッセンスを体験しつづけます。その人の2が成熟していくにつれ、人生そのものと「息を合わせるコツ」を会得していく可能性を秘めているんです。うーん、素晴らしい!

……もちろん、11や22、2以外の数字も「素晴らしい」んですよ?(わたし「えこひいきしない9」なんで、本気でそう思ってます♡)

ただね、何となくのイメージで「2ってなんか地味」と思われてたら悔しいので!「11も足すと2になりますよね」とか「22=ダブルの2とも言えますね」と持ちかけてもあんまり食いつかれないのが、つい寂しくて!こんなに熱く語ってしまいました。ちなみに自分のチャートに2はないけどね。わはは。

チャートに2がある人もない人も、平等に公平にお待ちしております。どんなオファーや。3/15(日)までオンライン限定の【お家でのんびり割】やってまーす。

好きならしょうがないねー、という話。

ここんとこ立て続けに「数秘」のネタを書いていて、今朝ふと頭に浮かんだのが、やっぱりわたし「サラッと軽めに」より「テンコ盛りやけど消化には良いよー」っていう伝え方のほうが好きなんだな、と。笑

決して初心者NGではない(むしろウエルカム!)けど「ちょちょいと簡単なもん出してくれたらエエねん」という人には、需要と供給が釣り合わないかもしれません。うち、大盛りで有名な店でんねんw

先日の「爆笑しながらボトルを使う会」という、ゆる〜いオンラインサロンでも「なるべく楽して目標を達成したい派」と「あえて強めの負荷を掛けるほうが燃える派」の両方がいました。わたしは前者ですが、後者の一人は「わたし人生=修行だと思ってるんで」と爽やかな笑顔で言い切ってたな。「そういうのが好き」なんだって。好きならしょうがないねーつって、メンバー一同大爆笑。

情報の受け取り方も提供の仕方も、人生をどう体験し、達成感を味わうかも人それぞれの「好み」ってありますよねー。それらすべてに「同意」や「共感」を寄せる必要はないと思うのですが、実際「それが好きならしょうがない」で済む話も多いんじゃなかろうか。

お互いに「思ってたんと違うー!」という行き違いを起こさないためにも、自分が何を「好き」なのか、ハッキリさせておいたほうが楽だし安全かも。さらに言えば、わざわざ相手の「好き」を否定しなくてもいいし、相手と自分の「好き」が違うからといって、自分を否定されたされたわけでもないんよね。

最初の話に戻ると、わたしが数秘でもパーソナルカラーでも「サラッと軽く」がへタなのは昔っからでした。「お試し」とかいって、現品渡しちゃうタイプ。爆

そんな自分が要領悪いなーと落ち込んだ時もありましたが、好きでもない「サラッと」を上手くなろうとあがくより、大好きな「テンコ盛り」の彩りや栄養バランスを考えたり、初心者さんでも口当たりを良くしたり、消化不良にならないような工夫をこらしたほうが、はるかに建設的じゃん!と今は思ってます。好きこそ物の上手なれ。

というわけで、当方は「消化に良いもんを、あれこれテンコ盛り欲しい!」人向けでございます。何卒よろしゅうお頼み申します。特に講座系はコスパもむっちゃエエよ!笑

令和の数秘は、一周回ってカルディアン……なのか?

古代カルディア地方の地図

今月末に第3期募集予定の「自分を徹底的に知る数秘」、おかげさまで大変好評をいただいております。特にチャートに7を持つ探究心旺盛なかたに。笑

90分×3回で毎回違うチャートを使ってまして、特に2回目・3回目は「カルディアン・システム」とか「トランジット・レターズ」といった通好みのプログラムを採用しております。特に「カルディアン〜」のほうは、通常のコンサルとはまっったく異なる変換表を使うので、新鮮よー。

実は当初、この「いつもと違う」ほうを「裏設定かもねー?うふふ」って感じで楽しんでもらおうと組み込んだんです。が!5人ほどセッションしたあたりから、皆さん同じことをおっしゃるようになったんですよ。曰く、

「いつもの変換だと【これまでの自分】って感じで、カルディアンは【これから目指していこうとしている自分】のイメージです」

……え、マジで? その発想はなかったわ。びっくり。

と思ってたんですが、その後も全員同じことを言うのよー! そうなると「令和の時代は、一周回ってカルディアンのほうがしっくり来るようになるのか?」という、新たな仮説が……それを検証してみたい欲がフツフツと……笑

一般的に現代の、特に日本国内においては、アルファベット(ヘボン式ローマ字:パスポートに用いる表記法)のA〜Zに対して、シンプルに1〜9の数字を順番に対応させて変換します。

一般的なアルファベット→数字変換表

こんなヤツね。例えば「studio H」だったら「1234968」となり、合計してヒト桁にするまで足し合わせると、1+2+3+4+9+6+8=33→3+3=〈6〉 となります。実際のセッションでは、お名前の「母音/子音」に分けてそれぞれ計算し、さらにトータルでの合計も出します。この場合だと母音が計18→9・子音が15→6ですね。

33のような「ゾロ目」を「マスターナンバー」として扱うシステムもありますし、マスターナンバーは11と22だけ(おそらく多数派・わたしはコレ)とか、あくまでも1〜9の「ヒト桁」の数(ルートナンバーと言ったりする)のみ!という人々もいます。それぞれに考え方があるので、どれが正しいとか元祖とかはないです。みんな違って、みんな良い。

対して「カルディアン・システム」と呼ばれる変換表が、こちら。A, B, C, D, E…までは同じなんですが、そこから先がかなりフリーダム。しかも割り当てる数が1から8までしかありません。

カルディアン・システムの変換表

なんでやねん。という素朴な疑問は当然ありますが、そもそも「カルディア」って今でいう中東なんですよ。なのにラテンのABCっていう時点で、元はカルディアにルーツがあったとしても、明らかに後世で何らかの「調整」が入ってるよね?と推察されるんですが、現代にも愛用者がいることも確か。なのでバリエーションの一つとして、試しに使ってみようかなーと。

こちらだと「studio H」は「3464175」となって、もう全然違ーう。合計すると、3+4+6+4+1+7+5=30→3+0=〈3〉。母音が計14→5・子音は16→7。上とは異なる結果になりましたね。おーー確かに「これからはこっち」っていう感じだわ。くどくなるので詳細の解説は省きますが、ざっくり言うと「より自由でマイワールドがオモロイやん」て感じ。理想やん!

ちなみに同じことを自分の「出生時の姓名」でやると、母音22・子音7・トータル11になるんです@カルディアン。通常版だとオール9で、数秘やってる人からは面白がられるんですが、カルディアンver.も別の意味で面白がられそう。笑

何というか……いかにも「数秘とかオーラソーマ®とか好きやんな?」みたいな。パーソナルカラーも色彩学講習も、正直ライトユーザー向けじゃないタイプ。だって、

22=スケールのデカイ世界観にテンション上がるぜ!人体は宇宙だ!
7=飽くなき探究心!マニア上等!「理由」が知りたいの。
11=インスピレーションこそ我が命。独自の感性で表現します。

こんな感じやもん。そして旧知の皆さまからは「いやコレ、今までもそうですやん!」と、全力で突っ込まれそう……(でも最近特にこの傾向、ひどくなってますよね?わたしw)

そんなわけで、もし従来の数秘ではしっくりこなかったという人、今後の方向性を模索中の人にはお試しいただきたいでーす。「自分を徹底的に知る数秘」では、この他にも様々な「いつもと違う」リーディングを盛り込んでいますので、じっくりお楽しみくださいね。また別のチャートにまつわるエピソードについても、今後書いていこうと思っています。

自分を徹底的に知る数秘】2023年4月に大幅リニューアル!よりパワフルになりました。今すぐチェックを!

2020.2.22生まれの「極端に偏ったチャート」はバランスが悪い?それともポテンシャルの宝庫?

2022.2.22生まれの誕生チャート

数秘やってるとつい、こういう「特徴的な日付」ってテンション上がるよね!笑

この9マスに数字を入れていくシンプルなチャート、一般的な数秘と違い、計算もほぼ必要なくパパッと作れるのでわたしは気に入ってます。見た目はシンプルだけど実は結構な情報量があり、その奥の深さも楽しいんですよん。

で、本日2020年2月22日のチャート。0は省くので、まーー見事に2オンリー。残りのマスは全て空白。ゆえに縦・横・ナナメに3つ空白(もしくは数字)が揃った時に引ける「個人の矢=特徴的な思考や行動のパターン」もバンバン引けちゃう。なかなかパンチの効いた構成よね。笑

このピュタゴラスの誕生チャート(と言います)を、わたしは【人生の初期設定】と捉えています。ロールプレイングゲーム的に言えば、最初の装備とか属性(剣士向きとか体力低めだけど魔力高めとか)みたいなもんで、一応こういうキャラですよという設定はあるけれど、旅の道中にどのような経験値を積ませるかによって、その後の成長は様々なバリエーションが可能です。

一般的にはチャートにおける「空白=その特性を持たない」とみなすので、空白が多いほど不利?と思われがちですが、それは早計です。空白=伸びしろと捉えれば、たくさんの可能性が見えてきませんか?

もちろん「2が5つもあって、他は全部空白」のような「極端に偏ったチャート」というのは、旅支度として見ると「お前、鍋ばっかり持ってきたんかーい!」みたいな状態なんで、特に旅がスタートしたばかりの頃は何かと不便かもしれません。言ってみれば「シバリの多いゲームスタート」って感じですが、その方が挑戦しがいがある!と腕まくりする人もいるんじゃないかな。

剣も弓矢も持っていない、回復魔法も使えない、でも鍋なら有り余るほどある。この状態を「鍋しかない」と嘆くか、「この『鍋しかない』状態から何が出来るか」と発想を切り替えるか。どの人にも選ぶ権利と能力がある、というのがわたしのモットーなんです。

それにね、初期設定はあくまで「初期」設定。今は鍋しかなくても、一生魔法が使えないわけじゃないですよ。鍋だって最初はしょぼいヤツかもしれない、でもどんどんバージョンアップしていくことだって可能です。

……しかし「鍋ばっかり持ってるキャラ」ってどんなんや。笑

このチャートの2は「感受性」や「協調性」を表し、それが5つあるということは「非常に敏感で感情が揺れやすい」ことを示唆しています。感情の渦に巻き込まれて冷静さを見失ったり、何かと気に病みすぎて身体の健康にも影響を及ぼすかもしれません。それぐらい「感じやすい」質を持ち得ると読みます。

確かに「イージーモード」のゲーム設定ではない。でも、イージーモードでは絶対に体験できない人生の深みや広がりの可能性が、このチャートにはあります。

このチャートの持ち主は、飛び抜けて鋭い感受性を時に持て余しつつも、そうした経験を通して少しずつ「空白の伸びしろ」を開拓してゆくのでしょう。周りの人々──同じように2を多く持つ同世代の友人たちや、2以外の数を多く持つ1900年代生まれの大人たち──との交流(時に衝突も)が、そのプロセスを支えてくれるはずです。

ちなみに、こんなに「2だらけ」なのに、全部を合計(2020+2+22)して一桁にした「軌道数=人生のメインテーマ」は「1」なんですよ。「受け取る」2とは真逆の「自ら向かっていく」1。「周囲と協調する」2に対して「我が道を行く」1。くーーっ!シビれる設定だなーオイ!笑

実際のセッションでは「個人の矢」や「名前のチャートとのバランス」あるいはご要望があれば「他者との関係性」も読み取ることができます。2000年以降に生まれたお子さんと、1900年代生まれの親御さんとのチャートを比べるコンサルテーションもよくリクエストいただきますよ。

パッと見でも「全然ちがーう!」ことが分かりますし、何がどう「違う」のかが分かると、日頃のいろんなナゾが解けるかと思います。お子さんの特性を把握しかねている、どう接していいか分からない……というお悩みのあるかたに特に好評です。親子以外の人間関係のナゾ解きにも、もちろんどうぞ。あなた自身の「初期設定」をじっくり紐解くセッションもオススメでーす。

個人コンサルテーションは対面のほか、オンラインでも承ります。詳しくはこちらをご覧ください。

「自分を信じる」ほうが、結局はお得な理由

自分を信じるほうが先
photo by チョコラテ san

どーもどーも、損得勘定で脳ミソを有効活用しようの会会長のひろかもです。

世の中には「身体に良い◯◯」とか「ビジネスに効く△△」といった素敵なモノやメソッドが溢れかえっていますよね。わたしもしょっちゅう「お?」と興味を持ちますし、実際に試してみたことも多々あります。効果のあったもの、今イチだったもの、むしろやらんほうがマシだったかも?なものもありましたな。笑

だけどよくよく考えてみればね、何であれ実際にそれを使うのは自分なんだなって。例えば「何とかイモのXYZっていう成分が良い」と言っても、そのイモを食うのも自分、そのイモを消化してXYZ成分を抽出し、体内に巡らせるのも自分、そのXYZと化学反応を起こすのも自分なんですよ。イモやXYZが健康にしてくれるわけじゃないの。ここ、結構見落としがちじゃないですか?

「△△で売り上げ倍増!」みたいなビジネスノウハウとか、パワースポットやヒーリンググッズの類も、本質的には同じような話かなーと思ってるんです。ノウハウを習得し、使いこなし、結果を出すのは自分。スポットやグッズから素晴らしいエネルギーが放出されているとして、それを受け取り、活用するのは自分。相手が最後まで面倒見てくれるわけじゃない……んだけど、どこか無意識に期待しちゃってるかもしんない。

だからって「全部自力で!がんばる!!」という話でもないんよね。別に誰かに頼ったり、助けてもらっても全然いいと思う。が、どっちにしろ「自分にしか出来ないこと」や「自分がやるしかないこと」って絶対、ある。

そうなるとね、その「自分」を励まして元気づけ、その気にさせるほうが確実に効果出るんちゃう?と。イモやノウハウやグッズより、自分自身のポテンシャルを信頼するほうが先なんじゃないかなー。

つまり〇〇や△△が効く、という視点じゃなくて、〇〇や△△を「わたし」が使うと効果が出る。「わたし」ありがとう!頼りにしてるでー!的な、信頼を置く対象を自分にするという意味での「自分を信じる」。自分より〇〇や△△のほうを信頼するのは、順番が違うというか効率が悪い気がするんです。まとめると、

脳ミソ使って、自分を気持ち良く「その気」にさせる→自分でないと出来ないことを、実際にやる。を、繰り返す。

脳(というか思考)の仕事なんじゃないかシリーズで書いたように、わたしたちの思考には、良くも悪くも自分を「その気」にさせるパワーがあります。どうせなら「良いほうのその気」にさせましょうよ。わざわざ自分を不快にするのはつまんないですから。笑

あと、忘れちゃなんねえのは「その気になったら、実際にやる」のパート。イメージの力でブログが書けるなら、どんなに楽なことか!わたしの脳内をそのまま入力してくれるアプリが出来たら、速攻で課金するわ。笑

その上で、自分では出来ないこと、苦手なことを、自分より楽に上手にやってくれる人がいれば、その人にお願いする。逆に自分の方が得意なことがあれば引き受ける。お互い、無理はしない。というのが、今のところ一番スムーズに事が進む方法のように思います。

ちなみに「その気にさせる」やり方というか、何がその人の「やる気」に繋がるのか?を知るのに、数秘やオーラソーマ®はとても役に立ちます。どちらもzoomなどのオンラインでもご提供していますので、ぜひご用命くださいねー

健やかさの対極にあるもの

くつろぎ=健やかさ
photo by coji_coji_ac-san

わたしたちの「健やかさ」を蝕む最たるもの、それは「恐怖」や「嫌悪」ではなかろうか。特に自分自身の「からだ」に対して、怖がったりイライラしたり忌々しく思うことは、百害あって一利ナシなんじゃないかなー?と最近感じ始めました。

わたし自身、これまで自分の体質や慢性的な症状、はたまた体型なんかにも散々文句を言いまくり、なかなか治らないことに苛立ったり、もしかして実は怖い病気なんじゃないかとビビったり……はっきり言って全く「友好的」ではありませんでした。自分のからだなのに他人のような分離感があり、しょっちゅうつまづいたり、あちこちにぶつけたり。思うようにコントロールしようとしても、ちっとも言うことを聞かないヤツ、そんなイメージだったのです。我ながらひどい。

それをね、3ヶ月ほど前に思い立って、ガラリと態度を改めたのです。具体的には、朝晩ちゃんと声に出して「ねぎらい」と「称賛」と「信頼」の気持ちをからだに伝えるようにしました。ええ、大マジメにやってます。こういう実験は、中途半端にやっても意味ないですからね。ちゃんと「その気」になって全力でやってます。笑

加えて、簡単な運動と短い瞑想も習慣にしました。食生活はもうちょっと節制したほうがいいんですが、まあ、それなりにほどほどに。で、数年〜数十年気がかりだったアレコレが次々に改善してきています。びっくりです。

「健康」あるいは「病気」って、根本的には何なんだろう?

もちろん、一刻を争うような急性症状や大怪我をした時には、つらつら考えるより救急車!応急処置!ですが、それでも「お医者さん」や「薬」が「治してくれる」というイメージを持つのは、あんまり「健康」ではないように思うんです。医療の助けを時に借りながら、自分のからだが自らを治す。わたしたちは、本来そういう風に出来ている。……そうじゃありませんか?

以前、突然全身が動かなくなった時、わたしの身体は混乱と恐れと苛立ちに支配されていました。でも、しばらく経ってある時ふと「わたしのからだなのに、わたしを傷つけようとしているはずはない」と何故か直感的に確信したんです。全身が一気にゆるみ、ホッとしたのを覚えています。その体験をきっかけに、わたしは自分の身体を「大切な友人」と思えるようになりました。

オーラソーマ・カラーケアシステム®の考え方のひとつに「病気:disease とは、くつろいでいないこと:dis-ease」というのがあります。最初聞いた時はピンと来なかったのですが(笑)今は本当にその通りだな、と感じます。そしてわたしたちを「くつろがせない」ものの筆頭が「恐怖」や「嫌悪」なんじゃないかと思うのです。

くつろいでいる時、わたしたちは現実的でもありますよね。妄想にとらわれず、当たり前の適切な行動を取ることが出来ます。「祈り」や「瞑想」の力をわたしは信頼しますが、同じくらい「手洗い、うがい、十分な栄養と睡眠」も信頼しますよー

現時点で、わたしにとっては「健やかさ=くつろぎ」です。そしてこの「健やかさ」は、身体のみならず、人生そのものの健康にも繋がっている気がします。ここにも自分なりの「そうなんじゃないか説」を持ってるんですが、今後も検証を続けます!

「その気にさせる」のが、脳(というか思考)の仕事なんじゃないか説・その3

わたしが使っている、身もフタもない「その気にさせる」作戦。それはズバリ【損得で考える!】です。ゲスい!笑

でも正直「思考の矛先を切り替える」には、効果抜群ですよ。要は「それを考え続けることは、自分にとってソンなのかトクなのか?」という視点を持ち込むんですが、その発想が出てきた時点で、既にあなたは「自分の思考から少し離れる」ことに成功しています。グルグルしてる時って、思考の沼にどっぷり浸かってるんだけど気がついてない状態なんですよねー。

モンモンと悩み続け、ネガティブな情報を集め続けることが、もし自分にとって「得になる」ならそのまま続行したっていいと思う。そういうケースがないとは言えないので。でも、このまま考え続けても何も楽しみや喜び、メリットを生まないなーと思ったら「あ、やっぱ今のナシで!」と脳に宣言してみて。脳ミソって意外とチョロいとこあるんで、割と言うこと聞いてくれますよ。笑

それでもまた、気がつけばモンモン、ぐるぐる……と元に戻ってることもありますが、その度に「ナシで!」ってやり続けるんです。で、パッと全然関係ない、違うことに意識を向ける(好きなテレビや漫画見るとか、そんなんでもオッケー)。何度かやってるうちに、だんだん「ナシで!」を宣言する頻度が下がってきますので、お試しあれ。

反対に「そう考えたほうがお得じゃん☆」って思えることは、隙あらばリピートして脳に覚えさせる。この時、実際に声に出すほうが断然効果あります。いわゆる「アファーメーション」ってやつですね。これ、作るのにコツがあるんで、くわしくは過去記事参照してくだされ。

こうやって文章に書くと、すっごく単純でアホみたいなんですけどねー。いやむしろアホになったほうが得なんじゃないかな?と、まあまあ本気でマジメに思ってます。マジメ=シリアス、とは違うからね。わざわざ深刻になって得したわーという体験は、半世紀以上生きてますけど今のところない。むしろ心身を蝕んできた経験の方が多いです。

そして深刻になる必要は感じないけど、真剣になることは大事。わたしはこの「損得で考える作戦」を本気で、大マジメにやってます。思考は大切な機能のひとつ、せっかく自分に備わっているのだから、大いに有効活用したいのです。

ちなみにね、何かを「考える」時、どの次元や視点で考えているのか?によっても起きることが変わります。またぼちぼち、そのあたりについても書いてみまーす。

「その気にさせる」のが、脳(というか思考)の仕事なんじゃないか説・その2

これを飲めば安心

脳が人を「その気にさせる」と言えば思い浮かぶものの一つに「プラシーボ(偽薬)効果」があります。最近、この逆バージョンにあたる「ノーシーボ(反偽薬)効果」なるものの存在を知り、両方合わせて興味深いなあと思ってます。ノーシーボに至っては、興味深いというか割とコワイ。

プラシーボは「効きますよ」つまり「肯定的な」刷り込みを行うものですが、ノーシーボはその反対。実際には起こりえない「副作用が起きる」と信じちゃって、本当にそうなってしまうケースがあるそうなんです。偽の薬なのに、ですよ? 他にも医者の誤診を信じて、実際には「存在しない」症状が出たり、本物の薬を飲んでいても「これは自分には効かない」と思って飲むと効果が出にくくなるというような場合も、ノーシーボ効果の一種とされるそうな。

プラシーボもノーシーボも要するに、どっちも「本来なら起こりえないことを、その人が《そう思い込む》ことで起きる」現象ですよね。まさしく、脳が「その気にさせた」結果なわけです。

この「その気にさせて、その通りになる」現象は、何も医療現場だけの話じゃないのでは?とニラんでるんですけど、いかがでしょう。少なくとも、わたし個人のレベルでは、しょっちゅうこの現象起きてます。ていうか、これまでの人生、たいがいそうなんちゃうかと思ってる。笑

となるとね、やっかいなのは「起きて欲しくないことが起きちゃう」ノーシーボのほうよね。これうっかり無意識に思い込んでると、後からどんなに前向きなアファーメーション唱えようが、自己啓発セミナー行こうが、全部ひっくり返されちゃうもんね。それは困る。面白くない。

個人コンサルやセミナー、特に「数秘クラス」を提供している時によく気がつくんですが、皆さん割とナチュラルに、自分の資質や過去の体験にバツをつけはります。欠点、失敗、むずかしい、出来ないetc. ちょっと苦笑混じりで言われることも多い、こうしたワードも一種の「ノーシーボ効果」に繋がってる可能性はないですかね?

だからって急に「大丈夫、わたしは出来る子!」と無理やり言い聞かせても、おそらくそんな簡単に「その気」にはなれないと思うんですよ。でも、このまま不本意にノーシーボの呪いをかけ続けたくはない……。そんな時、わたしが使っている「作戦」を次回お伝えしようと思います。その3に続きます。

「その気にさせる」のが、脳(というか思考)の仕事なんじゃないか説・その1

その気にさせるのが脳の仕事

もちろん他にもいろいろありますけども>脳のお仕事。

究極には、何かを「考え、判断する」ことで、自分にある種の呪文をかけるようなところがあるんじゃないか?とニラんでるんです。例えば「これは出来る/出来ない」とか「安心だ/不安だ」とか「面白い/つまらない」とか。

で、自分の思考が「出来る・安心・面白い」みたいに肯定的な時に、昨日書いた「何となく思ってた通りになる」現象が起きてきた気がします。あ、違うな。「できない・不安・つまらない」と思ってる時も「思ってた通りになる」。占いやおまじないの類が「当たらない」時は、要するにそっちの内容と自分の思考が一致してない=そうは思わない→その通りにはならないってだけですわ。

ここらへんから、ちょっと慎重に考えないといかんのですが……自分の「望む現象=思考」となるように、自らコントロールすることは可能なのか?っていうね。思考で思考をどうにかする……というのは、順当に考えてムリがある。ということで、思考とは別の「意識」が必要になってきますわな。

思考は「わたし」ではない。これに気づける「意識」があって初めて、思考を創造的なツールとして使えるんだと思います。良くも悪くも自分を「その気」にさせる力が、思考にはある。うっかりどんな気にさせられてるのか、なるべくマメにモニターしておくといい気がするなー。

自分の「ネガティブになる思考パターン」を自覚するだけでも、少なくともそれ以上、そっちにエネルギーを注がなくてすむ。余計な消耗をしなくてすむだけでも、QOL上がりますから。気力に余裕があるかないかは、日々の質に相当影響あると思いませんか?

で、せっかくなので「戦略的に」思考を活用したろうやないかーい。と思ってます。その2に続きまーす。