わたしたちの「健やかさ」を蝕む最たるもの、それは「恐怖」や「嫌悪」ではなかろうか。特に自分自身の「からだ」に対して、怖がったりイライラしたり忌々しく思うことは、百害あって一利ナシなんじゃないかなー?と最近感じ始めました。
わたし自身、これまで自分の体質や慢性的な症状、はたまた体型なんかにも散々文句を言いまくり、なかなか治らないことに苛立ったり、もしかして実は怖い病気なんじゃないかとビビったり……はっきり言って全く「友好的」ではありませんでした。自分のからだなのに他人のような分離感があり、しょっちゅうつまづいたり、あちこちにぶつけたり。思うようにコントロールしようとしても、ちっとも言うことを聞かないヤツ、そんなイメージだったのです。我ながらひどい。
それをね、3ヶ月ほど前に思い立って、ガラリと態度を改めたのです。具体的には、朝晩ちゃんと声に出して「ねぎらい」と「称賛」と「信頼」の気持ちをからだに伝えるようにしました。ええ、大マジメにやってます。こういう実験は、中途半端にやっても意味ないですからね。ちゃんと「その気」になって全力でやってます。笑
加えて、簡単な運動と短い瞑想も習慣にしました。食生活はもうちょっと節制したほうがいいんですが、まあ、それなりにほどほどに。で、数年〜数十年気がかりだったアレコレが次々に改善してきています。びっくりです。
「健康」あるいは「病気」って、根本的には何なんだろう?
もちろん、一刻を争うような急性症状や大怪我をした時には、つらつら考えるより救急車!応急処置!ですが、それでも「お医者さん」や「薬」が「治してくれる」というイメージを持つのは、あんまり「健康」ではないように思うんです。医療の助けを時に借りながら、自分のからだが自らを治す。わたしたちは、本来そういう風に出来ている。……そうじゃありませんか?
以前、突然全身が動かなくなった時、わたしの身体は混乱と恐れと苛立ちに支配されていました。でも、しばらく経ってある時ふと「わたしのからだなのに、わたしを傷つけようとしているはずはない」と何故か直感的に確信したんです。全身が一気にゆるみ、ホッとしたのを覚えています。その体験をきっかけに、わたしは自分の身体を「大切な友人」と思えるようになりました。
オーラソーマ・カラーケアシステム®の考え方のひとつに「病気:disease とは、くつろいでいないこと:dis-ease」というのがあります。最初聞いた時はピンと来なかったのですが(笑)今は本当にその通りだな、と感じます。そしてわたしたちを「くつろがせない」ものの筆頭が「恐怖」や「嫌悪」なんじゃないかと思うのです。
くつろいでいる時、わたしたちは現実的でもありますよね。妄想にとらわれず、当たり前の適切な行動を取ることが出来ます。「祈り」や「瞑想」の力をわたしは信頼しますが、同じくらい「手洗い、うがい、十分な栄養と睡眠」も信頼しますよー
現時点で、わたしにとっては「健やかさ=くつろぎ」です。そしてこの「健やかさ」は、身体のみならず、人生そのものの健康にも繋がっている気がします。ここにも自分なりの「そうなんじゃないか説」を持ってるんですが、今後も検証を続けます!