七夕の前日に届いた新ボトル、120番ペルセポネ。
何となく「今じゃないなあ」と感じて置いてあったのですが、誕生日のこれまた前日が「獅子座の新月」だと知って、あ、今だ。と。
とはいえ占星術は専門外なので、詳しい「意味」を知っての「今だ。」ではないんですよ。いつものごとく「ふと、何となく」です。笑
自分自身の直感が、最善のガイドライン
が、オーラソーマ®の大前提ですからねー
実は少し前に、このボトルの名前「ペルセポネ」に「光を破壊する者」という意味がある、という話を聞きまして。
調べてみたら、確かにそのような記述がWikipediaにありました。Wikiによれば、一方でまた「目も眩むような光」という意味もあるとのこと。興味深い!
ペルセポネは、ギリシャ神話における冥界の女王。と言っても、ダンナである冥府の王ハデスに無理くり拉致され、不本意ながら一年の3分の1(半分説もアリ)は地下の冥府で暮らすハメになった気の毒な女神です。
彼女が地上に戻る時は「春の訪れ」となり、母である豊穣の女神・デメテルの娘にふさわしく「芽吹きの女神」と讃えられるのだけど、彼女が地下へ戻ると大地は凍てつき「冬の訪れ」となる……そして数ヶ月後、再び芽吹きの春が訪れ……
つまり誠に不本意ながら、ペルセポネは「破壊と再生」の両方を担う存在になってしまったわけです。しかしながら、いったん作物が枯れ果てる「冬」があるからこそ、土壌は豊かに肥えるとも言えますよね。養分になりますから。
……養分? 養分! それじゃん!!!
今まさに書いていて、脳裏をよぎったこのカード。OSHO禅タロット・大アルカナ《XII NEW VISION》。人物の「足元」に……見えますか?
これは「かつて《わたし》であった存在」。過去の自分自身の、受け入れがたい、なかったことにしたかった側面。
禅タロットの解説を、改めて読んで震えました。
……地に閉ざされた自分の根から起き上がり、閉ざされることのないものへと飛び立つ翼が生えています。
こんなん、ペルセポネやん。
しかもこのカード、12番なんですよ。ペルセポネボトル、120番。何の因果でしょう。ただの偶然だったとしても、わたしゃこだわりますよ。笑
だってね、解説の後半は、こんなふうに続くんです。
……それらは共に存在し、闇と困難なことは光と楽なことと同じくらい必要なのだ、ということが体験からわかるようになったとき、世界を見る私たちの視野はまったく違ってきます。
もう、まんまペルセポネやーん。
ペルセポネは、自分を冥界へとさらったハデスに抵抗できなかった自分を、許せなかったかもしれません。本来は「目も眩むような光」を大地に注ぐ、芽吹きの女神なのに。自らがその「光を破壊する者」でもあるなんて!
だけど、彼女が地下へ閉じ込められなかったら。世界に「冬」が訪れなかったら。
わたしたちは今よりずっと単調で、滋養の少ない実りしか手に出来なかったでしょう。
光の強さと、闇の深さは比例します。その両方を司るペルセポネの存在は、わたしたち自身にも、その「両方の側面」を──特に「闇である側面」を受け入れることを、勇気づけてくれるのではないでしょうか。
闇もまた自分自身の一部であり、だからこそ「豊か」であり得るのだ、と。
タイトルのフレーズは、わたしのオリジナルのアファーメーションです。英国本部からのプレスリリースと、ペルセポネのWikiを読み返しているうちに生まれました。
わたしは自分自身のあらゆる側面を受け入れ、至福への扉を開きます
もしあなたの「内なるガイドライン」が、このボトルに強く誘うのなら……きっとあなたも扉をノックするタイミングなのだと思います。どうぞその手に取って、確かめてみてくださいね。
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