宇宙のスタンダードは「高次元」より「多次元」

英語と日本語での「次元」の捉え方の違い

セスシリーズに続いて、「すごい宇宙講義/多田 将・著」を2日で読み終え、昨日からは「Newton別冊『次元のすべて』」を読み始めています。また本読んどるやないか。笑

というのも、セスが語る情報においては「次元」っていう言葉がぶっちゃけ最重要キーワードなので、ここをきちんと整理しておきたかったんですよね。で、前からこの「次元」の捉え方にはモヤっとしてたんだけど、ここへ来て

「高次元⇔低次元」ではなく【多次元⇔単次元】という視点が、実は宇宙のスタンダードなんでないか?

という「最有力説」を持つに至りました。「高低」って言うと無意識に「天地/上下」のタテ方向を思い浮かべるでしょう? その時点でかなり「限定的」な捉え方になるんじゃないかな、と思うのです。

英語で次元は【dimension】つまり「大きさ」とか「範囲」を表すワードなんだけど、日本語の「次元」って一般的には数学や物理学の用語というよりも【layer:層】とか【level:高さ】のニュアンスで使われてません? で、それを「高低」つまり「上下に積み重なってるor連なってる」的にイメージしてる人、多くない??

そうじゃなくて「より多くの視座に立つ→より多くの情報を得る→可能性が広がる」という意味での「次元上昇」、という発想はどうでしょう。例えるならテキストより画像、画像より動画のほうが格段に「表現の可能性」が増えるように。

ちなみにこの記事の草案をFacebookに投稿した際、ある人が「宇宙には高いも低いもないよ、高いか低いかは重力にとらわれた世界だよ的な話を聞いて目からウロコだったの思い出しました。」という、とても興味深いコメントをくれたんですね。まーさーにー!

ちなみにこの場合の「宇宙」は物理的宇宙の話ですが、ほとんどの人類は「実物の宇宙」を自らの五感を通して「実際に体験」はしてないですよね。だからもしかしたら我々の知っている(と思っている)宇宙なるものは、本当は「実在しない」かもしれない。笑

事実、最先端の宇宙物理学をもってしても、宇宙を構成する実に4分の3!は「正体不明」なんだそうです(多田先生の著書曰く)。それくらい「分かってない」世界に、わたしたちは生きている。そしてわたしたちは「立体=3次元+時間=1次元」というシステムの中にいるので、それ以上の次元がどういう世界なのかを本当には体験も認識も出来ません。これはねーー修行でどうにかなるレベルの話じゃない。2次元の平面世界では、どうやったって3次元「っぽいイメージ」しか描けないのと同じ。

もし「いや、そんなことはない!精神性を磨けば、6次元でも8次元でも《到達》出来る!」という人がいたら、その人のおっしゃる「次元」とわたしの言っている「次元」は別のハナシですね。三角形は点や線を足せば五角形にも八角形にもなるけれど、「高さ」という未知なる座標軸がない限り「立体=ひとつ上の次元」にはなれません。そして「高さ」軸が生まれた時点で、そこはもう「平面」ではなくなる……

でも、わたしたちが認識しようがしまいが、タテ・ヨコ・奥行き以外の「未知なる座標軸」が存在してても不思議ではありません。数学者や理論物理学者の皆さんは、バンバン9次元だの11次元だのおっしゃってますし。笑

そして「セス」もまた、我々とは異なる次元が「無数に」かつ「同時進行で」存在すると明言しています。それは50年前には現代以上に荒唐無稽に聞こえたでしょうが、スーパーでも買える雑誌に「場の量子論」が紹介されている2020年なら、俄然真実味を帯びてくる、とわたしは感じています。

少なくとも、既にわたしたちの世界においても【dimension】としては「多次元」なんです。そこにあるのは「より多くの視座」であり「情報量」であり「表現の可能性の広がり」です。まずはイメージでいいから、わたしたちの世界にも既に「未知なる次元が無数にあるかもしれない」という設定を持ってみませんか? それが何になるのか、という話を、今後少しずつ綴っていくつもりです。

色も数もカタチも言葉も、すべては「自分が誰かを思い出す」ためのシンボルなのだ。

シンボルのチカラ

「セスは語る」ようやく読了しました。先に読んだ「セス・ブック 個人的現実の本質」と合わせて計1,440ページ、1ヶ月かかりましたわ。まーーひたすら濃かった!

こいつずっと本ばかり読んで何してんだと思われてたでしょうが、それは自分でも思ってました(爆)でも今「アップデート」しとかないと、絶対アカンやろという直感があったんです。これまで自分がベースとしてきた価値観や世界観を、根底から見直さないと、この先わたしはいつか後悔する。「応急処置」的な仕事はもうしたくない。今よりもっと深いレベルから、本当にその人の助けになることがしたい。

そのためにも、わたしは「この世界の仕組み」を知りたかった。理想主義すぎると言われても、誰もが「生きてて良かった」「この自分で良かった」と思える人生であってほしい。そのために自分が出来ることをやりたかったのです。

「セス」シリーズを2冊読み終えてみての最大のインパクトは、その人の【可能性】という表現が意味する広さと深み! これまで散々使い古されてきた【本当の自分を思い出す】とか【わたしは誰か】といったフレーズを、わたしはなんて狭い視野で捉えていたのかという衝撃は、なかなかのもんでしたわ。

一方で幸いなことに、わたしが長年並々ならぬ興味と情熱を持って取り組んできた「色・数・カタチ・言葉」は、ある意味ですべて【シンボル:象徴】であり、しかもそのシンボルを一人ひとりが読み解くほどに、自らの本質に近づいていけるのだという下りは、非常にワクワクしながら読みました。とはいえこれらの読み解きのプロセスは、いわゆる「内観」というのとも違う、もっともっと豊かな知覚を伴った体験になりそうです。

わたしはここ一週間ほど様々な「実験」を楽しんでおり、文字どおり「世界との接し方」に変化が生じています。例えば明らかに自分の身体の「境界線」が曖昧に、なのに鋭敏になっていると感じたり、覚醒時の自分と睡眠時の自分との間に、何かしらの「キャッチボール」が起きている感覚があったり。夢もよく見るようになりました。

中でも入眠時に個人的な【シンボル】を「追いかける」ことで、自分の中で何が起きているのかが明らかになるという体験は、非常に興味深いです。このプロセスの面白さは、単に「起きていることが明らかになる」だけでなく、そこから自分の望む形にシンボルを「変化させる」ことが可能なんですね。で、そうしたシンボルの変化は、のちのち現実の世界にも変化をもたらすんです。気のせいじゃないですよ? 実際、目に見える形のものなので。ただ余りにも内容が個人的なのでシェアしづらいんですが、いろいろやっているのでそのうち書けそうなものは書きますね。

とはいえ、同時に「言語化の限界」も強く感じています。だって……書けば書くほど、アヤシイ話になるやん?笑

セスに言わせれば、そもそもわたしたちの見ている「世界」自体が、あまりにも「物質的表現」と「直線的な時間の概念」に特化した、特殊で制限されたシステムだから、ということなんですが。それでいて、その「制限」自体にも理由と意義があると。わたしたちが今【物質界に生きている】というまぎれもない事実を「過不足なく理解する」ことがすごーーく大事なポイントになりそうです。制限に囚われすぎず、かといって妄想的にもならずに。物質を絶対視しない、けどないがしろにもしない。

「過不足」というと、ついプラス/マイナスとかイエス/ノーの「二極間」で考えがちだけど、そうじゃないんだと思います。これからの(というか本来の)バランスは「今ここを中心に、あらゆる方向に同時に」なんじゃないかな。

その意味でも、決してこれまでやってきたことの「否定」をするつもりはなくて、むしろ「新しく開かれた可能性」という感じのほうが強いです。自分のキャリアに関しても。とにかく大量のインプットを、これからどういう形で消化吸収→アウトプット=皆さんへ分かち合えるかというのを只今検討中です。特に【シンボルを使った現実化】については、既存のツールでも十分活かせると思います。というか、実は既にやっていたんですけどね……今後は「仕組み」を踏まえて、より効果的にワークするよう意図していくつもりです。

なお未だ新型ウィルスが終息したわけではありませんので、引き続き5月いっぱいは【オンラインメニューのみ】営業とし、対面メニューにつきましては6月以降、まずは滋賀県内のお客さまを対象に状況に応じて再開していければ……と考えております。「お家であんしん割」も継続しますので、ぜひご活用くださいね。

わたしが50年、心底望み続けていたことは

世界の仕組みをわたしは知りたい

この世界の「仕組み」を知りたい。

ただシンプルに、それだけだったんだと思い至りました。

パンデミック以降、いくつかの仕事がなくなったり延期になったり、大幅な仕様の変更が必要になったりして、一時期は対応に追われてバタバタしていました。が、GW明けにひと段落ついた後、自分の中の何かが途切れてしまい、ほとんど仕事らしい仕事もせず、ずーーっと本を読んでいました。

世間では、ぼちぼち「再始動」の兆しも見え始めているというのに、個人周期2の年・7の月のなせるワザか(笑)自分に問いかけ続けるような時間が増えていきました。

「わたしは本当は、何をしたいんだろう?」
「これまでしてきたことと、何か繋がっているんだろうか?」

上の写真に写っている「セス・ブック 個人的現実の本質」という電子書籍をダウンロードしたのは、まだバタバタの途中にあった4/23。読み終わったのが昨夜、つまり5/16。700ページ弱というボリュームは確かに少なくはありませんが、人一倍「読むのが早い」わたしにしては相当時間がかかりました。毎日のように読んでいたけど、数ページ読めば「お腹いっぱい」という感じで、本当に少しずつしか読めなかったのです。

この本は日本語版こそ最近(紙版が2012年・電子版が2017年)ですが、原著は1974年初版と実に半世紀近く前!です。タイトルと表紙の帯コピーの壮大さに「ホンマかいな」と最初はスルーしてたんですが、何となく気になってポチってみたんですよね。Kindle Unlimited対象だったし、タダ同然で読めるなら……と。セコい。笑

この本は「セス」と名乗る存在が、一人のアメリカ人女性小説家を通して語り、女性の夫がその口述を記録したものとされています。いわゆる「チャネリング」ですね。

なのでまあ、それこそ「妄想大巨編」である可能性も十分あるわけです。が、読み始めてわたしはすぐ「あ、これホンモノだ」と直観しました。直観なので、論理的根拠はありません。でも、これが全て妄想だったとしたら完成度が高すぎる!というか、妄想で片付けるには無理があるレベルの整合性だし、特定の宗教や文化に左右されない「普遍性」を強く感じたのです。

時代的には「エドガー・ケイシー」や「(シルバーバーチの霊媒として知られる)モーリス・バーバネル」のほうが先なんですが、どちらとも毛色が違う感じ。先人をパクってる風でもなく(←失礼すぎ)セスはその普遍性ゆえ、驚くほど「現代的」です。古さを感じない。

実はこの本は日本語訳ではシリーズ2作目で、先に「セスは語る」という本が出てるんですね。で、今そちらも読み始めていますが、こっちは割とサラッと読めます(当社比)。ただ、わたしがずっと「知りたかった」ことは「個人的現実の本質」のほうに書かれていると感じています。

最初に書いたように、わたしは【この世界の仕組み】がどうなっているのかを、物心ついた頃から知りたがってきたのです──今にして思えば。そして、その「仕組み」に大きく関わっているのは「色とカタチ」であり、その両方に共通なのが「」であり、それらを探求・理解し、また誰かに分かち合うために「コトバ」が必要だった。それらを高いレベルで扱える必要があった。

残念なことに、人生の割と早い段階で「数学」特に「幾何学」につまずき、その余波で「科学」全般、特に「物理学」に、学生時代は興味が持てないまま過ごしてしまいました。

ところが大人になって改めて「色彩」を学び直すプロセスの中で「素粒子」や「周波数」に興味を持ちだし、パーソナルカラー&スタイルに出会い、オーラソーマ®に出会い、そこで数秘に出会い、数のシンボルとしての図形に出会い、長らく敬遠してきた「立体」にも手を伸ばし始め……というタイミングで、自身に問い直す時間がたっぷりと与えられ──

そうか、わたしはずっと「どうすればそうなるのか」「なぜそれはそうなのか」という、根本的な仕組みが知りたかったのか。

という、一番根っこにあった「望み」に気づくことが出来ました。

「仕組み」という意味では「なぜ今それが売れるのか」という「マーケティング」にもとても興味を持っていますし、一時期はセールスライティングを学んだこともありました。でも「セールスライターになりたい」とは思えなかった。オーラソーマもたくさんの人から「いつティーチャーになるの?(なること前提か 笑)」としょっちゅう聞かれた時期もあったし、パーソナルカラーは一時期ずっと「養成する側」に立っていました(一応、今もそうですが)。

そのどれもにがっつりとコミット出来ない自分を「中途半端な何でも屋」だと思ってきましたけど……単に「そのどれでもなかった」だけでした。

と言っても、やってきたことを全部手放そうとしているわけではありません。むしろ何一つ手放すことなく、これまでのツールすべてを「人生を根っこから改善する」手段として使っていこうと思っています。

この半年ほど読み漁ってきた「思考と現実と量子力学」に関する情報も、セスの語る「より大きな視点」で統合合併されつつあります。そしてこれはもう根本的な話になるんですが、結局のところ、この次元で理解できることには限界があります。二次元の平面世界では、三次元を「シミュレーション」できたとしても、本当に「体験」することは不可能です。その意味で、どんな科学も今いる次元以上の世界を本当には解明できないでしょう。

わたしたちの住む世界は3Dの立体が時間軸に沿って変化し続ける「四次元」世界ですが、時間を見たり触ったりは出来ません。その一方で「思考(を生み出すマインド)」は過去・現在・未来を瞬時に行き来したり同時に並列に扱うことが出来ます。その意味では四次元を超えているようにも見えます。が、その特性を十分に活用しているとは言いがたく、むしろ「過去にとらわれる」とか「未来を心配しすぎ」というように、否定的にとらえることも少なくありません。

ですが、マインドを「今ここ」で「建設的に」使うことこそ、あなたの人生を根っこから改善する手段に他なりません。というのが、先人たちの知恵に触れ、自分自身の半世紀を振り返って得た確信です。

この確信はまだ育ち始めたばかりで、多分に「予感」に近いものなので、そのプロセスを促進するためにイエロー/クリアーの「70番:壮麗なるビジョン」ボトルを使うことにしました。色といい、番号といい、今のわたしにこれ以上ぴったりな一本はないでしょう。今、リンク張ろうとしてOAUのサイト見たら、一番下に「特質: 『自動書記』が始まるのを助けます。」という一文があって吹きました。笑

ここでいう「自動書記」は、自分自身の「存在」と繋がって何かを表現する、という意味でしょう。自分以外の「誰か」ではなく、より高次の自分自身としての「存在」と。

そして多分、どんな人もこれからは、そうした「自動書記」的な自分自身とのより深いコミュニケーションをとり、本来の資質をめいっぱい磨くことが「生きがい」であり真の「成功」になっていくんじゃなかろうか。世界はたった数ヶ月で劇的に変化しました。もう「前と同じ」には戻らないし、戻りたくないと思っています。あなたは、どうですか?

2020年5月は4の年・9の月、今あなたが「終わらせる」べきものは?

9の月=完結・完了、手放して次のステージへ

今年のGW、わたしには「これまでのやり方を手放す」チャンスが何度も訪れていました。もっともその大半は、今回のウィルス騒動で「余儀なく」というものではありましたが、実際「チャンス:好機」でもありました。

ブログの更新が滞っていた一番の要因は、非常勤で入っている短大の授業カリキュラムの変更作業の締め切りに追われていたためです。口頭+板書なら5分10分で済む内容を、学生(しかも新入生対象なので「予備知識ゼロ」設定)が自学で理解できるようにと資料や課題を製作するのは、思っていた以上に骨が折れました。

でも、本当は以前から薄々感じてはいました──今までのやり方が、必ずしも「最善ではない」ということに。この20年、自分なりに培ってきたノウハウを決して出し惜しみしてきたつもりはなかったれど、その「出し方」にはまだ工夫の余地はある。でも限られた授業時間内で、1対100人越えのような大人数相手に、一方通行ではないやり方で……うーん。

と、例年ならここでストップしていたところ、今年は「対面での授業が出来ない」という土台からひっくり返る事態になっちゃった!

数秘で言えば、土台の4(2020年)+変化の5(月)=9:ステージ終了のお知らせですよ。ジタバタしてもムダ。だって9は、もう「これ以上はありませんよ」というサインなのです。

今、これを読んでくださっている皆さんの中にも、仕事や生活のスタイルを「変えざるを得なかった」人も多いでしょう。4月のうちは「出来ない・足りない」ことの多さに、焦ったり落ち込む日々も少なくなかったのでは?

それがいよいよ「もう今までと『同じ』には出来ないんだな」という地点に来たのが月を跨いだあたり。で、ここからです。ここからが、分かれ目。

本当は「終わらせてもいい」ものを手放すチャンスと思える人から、次のステージへと移っていきます。

たとえベストとは言えないものでも、慣れ親しんだスタイルや場所を手放し、新しい道を選択するのは勇気が要ります。それが生活の「土台」に関わるようなことなら尚更でしょう。

「元の生活に戻りたい」──本当に? 本当に「元通り」でいいの?

わたしがもし来週から「通常授業に戻ります」と言われたとしても、もう昨年のレジュメを使うつもりはありません。連休中に作った課題を、対面授業になっても使っていこうと考えています。予備知識のない学生が自学出来るように工夫したんですから、そこに対面での生の講義が加われば、もっと理解が進むでしょう。課題を提出させればサボっている学生はバレちゃうので、単位が欲しければやるしかない。笑

「終わらせる」とか「手放す」というと、何かが無理やりもぎ取られるような、失ってしまうんじゃないかという恐れを抱くかもしれません。9が意味する「完結・完了」とは、終わらせるのに相応しいレベルまで育った何かがある、ということ。いわば「完熟:RIPENESS」状態なのです。

熟し切った果実には、もう樹上で出来ることは何もありません。自然の流れに身を任せるなら、やがてポロリと地面に落ち、そこで新しい苗床のための養分となるでしょう。形や場所は変わりますが、これまでに蓄えたものはしっかりと次に生かされていくはずです。

9の次は10、新たな位が始まります。そしてまた、1+0=【1】へと循環してゆきます。9は永遠の循環を示す8(∞)の一端がほどけ、0=あらゆるものが生み出される源へと還ってゆくプロセスを表す数です。

6月になれば、現実(4)レベルでの「再スタート(6+4=10→1)」段階に入っていくでしょう。それまでにあなたが「終わらせる」べきものを見極め、それをどのような形で「次に生かす」のか──改めて考えてみませんか?

あなたの「9から1へ」向かうプロセスを、オンラインでサポートします。「お家であんしん割」をぜひご活用ください。