色も数もカタチも言葉も、すべては「自分が誰かを思い出す」ためのシンボルなのだ。

シンボルのチカラ

「セスは語る」ようやく読了しました。先に読んだ「セス・ブック 個人的現実の本質」と合わせて計1,440ページ、1ヶ月かかりましたわ。まーーひたすら濃かった!

こいつずっと本ばかり読んで何してんだと思われてたでしょうが、それは自分でも思ってました(爆)でも今「アップデート」しとかないと、絶対アカンやろという直感があったんです。これまで自分がベースとしてきた価値観や世界観を、根底から見直さないと、この先わたしはいつか後悔する。「応急処置」的な仕事はもうしたくない。今よりもっと深いレベルから、本当にその人の助けになることがしたい。

そのためにも、わたしは「この世界の仕組み」を知りたかった。理想主義すぎると言われても、誰もが「生きてて良かった」「この自分で良かった」と思える人生であってほしい。そのために自分が出来ることをやりたかったのです。

「セス」シリーズを2冊読み終えてみての最大のインパクトは、その人の【可能性】という表現が意味する広さと深み! これまで散々使い古されてきた【本当の自分を思い出す】とか【わたしは誰か】といったフレーズを、わたしはなんて狭い視野で捉えていたのかという衝撃は、なかなかのもんでしたわ。

一方で幸いなことに、わたしが長年並々ならぬ興味と情熱を持って取り組んできた「色・数・カタチ・言葉」は、ある意味ですべて【シンボル:象徴】であり、しかもそのシンボルを一人ひとりが読み解くほどに、自らの本質に近づいていけるのだという下りは、非常にワクワクしながら読みました。とはいえこれらの読み解きのプロセスは、いわゆる「内観」というのとも違う、もっともっと豊かな知覚を伴った体験になりそうです。

わたしはここ一週間ほど様々な「実験」を楽しんでおり、文字どおり「世界との接し方」に変化が生じています。例えば明らかに自分の身体の「境界線」が曖昧に、なのに鋭敏になっていると感じたり、覚醒時の自分と睡眠時の自分との間に、何かしらの「キャッチボール」が起きている感覚があったり。夢もよく見るようになりました。

中でも入眠時に個人的な【シンボル】を「追いかける」ことで、自分の中で何が起きているのかが明らかになるという体験は、非常に興味深いです。このプロセスの面白さは、単に「起きていることが明らかになる」だけでなく、そこから自分の望む形にシンボルを「変化させる」ことが可能なんですね。で、そうしたシンボルの変化は、のちのち現実の世界にも変化をもたらすんです。気のせいじゃないですよ? 実際、目に見える形のものなので。ただ余りにも内容が個人的なのでシェアしづらいんですが、いろいろやっているのでそのうち書けそうなものは書きますね。

とはいえ、同時に「言語化の限界」も強く感じています。だって……書けば書くほど、アヤシイ話になるやん?笑

セスに言わせれば、そもそもわたしたちの見ている「世界」自体が、あまりにも「物質的表現」と「直線的な時間の概念」に特化した、特殊で制限されたシステムだから、ということなんですが。それでいて、その「制限」自体にも理由と意義があると。わたしたちが今【物質界に生きている】というまぎれもない事実を「過不足なく理解する」ことがすごーーく大事なポイントになりそうです。制限に囚われすぎず、かといって妄想的にもならずに。物質を絶対視しない、けどないがしろにもしない。

「過不足」というと、ついプラス/マイナスとかイエス/ノーの「二極間」で考えがちだけど、そうじゃないんだと思います。これからの(というか本来の)バランスは「今ここを中心に、あらゆる方向に同時に」なんじゃないかな。

その意味でも、決してこれまでやってきたことの「否定」をするつもりはなくて、むしろ「新しく開かれた可能性」という感じのほうが強いです。自分のキャリアに関しても。とにかく大量のインプットを、これからどういう形で消化吸収→アウトプット=皆さんへ分かち合えるかというのを只今検討中です。特に【シンボルを使った現実化】については、既存のツールでも十分活かせると思います。というか、実は既にやっていたんですけどね……今後は「仕組み」を踏まえて、より効果的にワークするよう意図していくつもりです。

なお未だ新型ウィルスが終息したわけではありませんので、引き続き5月いっぱいは【オンラインメニューのみ】営業とし、対面メニューにつきましては6月以降、まずは滋賀県内のお客さまを対象に状況に応じて再開していければ……と考えております。「お家であんしん割」も継続しますので、ぜひご活用くださいね。