思考というか「信じている」ように現実は作られる……のか?

年末年始に読んでいた三冊

10代の頃から何となく「自分が『そうなる』と思ってることは、いつかその通りになるんじゃないか」という仮説を持っていて、実際「そうなった」ことも多々ありました。占いとかおまじないの類も、割と「当たる」ことが多かったけど、同じくらい「当たらなかった」ものもあります。

で、その「違い」って何なんだろうなーという素朴な疑問を、その後もずーっと持ち続けていたんですよね。「プラシーボ(偽薬)効果」なんてのも、実は単なる「気のせい」以上の意味があるんじゃないの?とか。

昨秋、突然全身が謎の筋肉痛で動かなくなるという目に合い、これまでになく「心身の健康」を意識するようになって、改めて「わたしは自分の身体のことを、どう思っているんだろう?」と考え始めました。そこから「意識」とか「思考」が人体に与える影響について書かれた本やサイトを読みあさったり、自分でも新たな運動や食習慣などを取り入れる「人体実験」を続けています。

実験のほうはまだ3ヶ月くらいしか経ってないのであれこれ言えないんですが、ひとまず体調はかなり良いです。そして身体のことだけでなく、もともと興味のあった「より根源的なしくみ」のほうに軸足が移りつつあります。上の写真は昨年末から年明けにかけて読んでた本(+写ってないけど他にも数冊)ですが、ますます人体実験に熱が入るモチベーションになりました!笑

それぞれの本に対して大いに同意するところと「それはどうかなあ」と思うところもあり、手放しでオススメってわけではないので詳細レビューは控えます。が、自分が「当り前のように信じている」かどうか?が、現実化するかどうかの分かれ目になってる気はしますねえ。

さらに言うと、その信じる/信じないという「思考あるいは信念」自体が現象化するというよりは、そう思っている時の「感情や感覚」がトリガーになって、相応の現象を引き起こしている気がします。これは直感的な「仮説」にすぎませんが。

平和でくつろいだ感覚で満たされている時と、不安や恐れ、憎悪など「居心地の悪い」感覚が充満している時と。この「違い」はちょっと無視しないほうがいいんじゃないかなー。

もちろんね、のんきにブログ読んでる場合じゃない、気の持ちようより今は「現実的手段」優先!というケースも大いにあると思いますよ。そのへんの「どの次元から/に対してアプローチするのか」っていう観点も、すごく大事じゃないかと思ってます。長くなりましたので、また続きはおいおいに。