【ビジネス数秘入門#1】いきなり8を狙うとコケる。あなたに4はあるか?

まずは4を狙うのが正解!
photo by Beruta-san

質問です。

あなたは通りすがりの見ず知らずの人から、よく知らない5万円の商品をポンと買ってみたいと思いますか?

「はい」と答えたあなた、なかなかのチャレンジャーですね! 一度じっくりお話してみたいんで連絡ください。笑

「いいえ」と答えたあなた、それは何故ですか?「そんなの、当たり前でしょ!」と思います? でも実は、わたし買ってもらったことがあるんですよ。しかも「お得だ」と大変喜ばれながら。ちょっとビックリしましたけど、とっても嬉しかったです。

通りすがりだろうと、見ず知らずでよく知らなかろうと、そこに「信用」があればビジネスは成立します。裏を返せば、最初の質問で「いいえ」と答えた理由も、そこ。

人が商品やサービスにお金を払うのは、それだけの価値があると「信用している」から。

この「信用」は、実際には「期待」と言うほうが正しいかもしれません。それが手に入ることで、何らかの喜びが得られる。あるいは苦しみが減ると信じているから、あなたはお財布を開けるのではないでしょうか?

あなたが「売り手」であるなら、何よりもまず第一に「お客さまから信用してもらう」必要があります。そして信用さえいただければ、商品やサービスはたとえ高額でも初対面でも買っていただけます。逆に言えば、どんなに良い商品やサービスも「信用」がなければ売れません。

「4」の視点と行動で、ビジネスの一番大事な土台を作ろう。

やっと数字が出たー!と思われたかもしれませんが(笑)実は最初からずーーっと「4のハナシ」をしていたんですよ。4は「現実的でムリがなく、それゆえ安定して持続させられるので、安心して信用できる」という「当たり前の仕組み」のシンボルです。

あなたが普段やっていること、今からやろうとしていることは「4」の質を持っていますか? 実が伴わないのに「それっぽく見せかける」のはナシですよ。4には「あるがまま・正直」というキーワードもあります。

また焦りから「見せかけの4」にうっかり期待して、ムチャな投資をしないようお気をつけて。4は「くつろぎ・内なる安定」のシンボルでもあります。あなたにとって「ムリがなく自然体で続けられる」やり方を探しましょう。

わたしはもともと広告業界にいましたし、セールスコピーやビジュアルによる演出の大切さやその効果も知っています。当然、自分自身にも活用しようとあれこれ試してきました。でもですねえ、どんな美しいチラシやサイトを作っても「綺麗ね」で終わるんですよ、自分の「4」が育たないうちは。

というか、べつに「綺麗」じゃなくても良いんです。場合によってはワザと「もっさり」させたほうが売り上げに繋がることもあるんですよ(この話はまた別の機会に掘り下げますね)。

ではどうすれば良いのでしょう? その答えは至ってシンプルです。

一日でも早く「実際に始める」ことでしか、あなたの4は育ちません。

たとえ一つも注文が来なくても、今日から始めれば「キャリア」は積み重ねられます。月に数人のペースでも「10年前からやっています」と言えれば、お客さまの信用と期待を得る材料の一つに十分なりますから。

とはいえ客単価が高くないと、さすがに月に数人では生活できないですよね。いきなり5万10万の商品が最初から売れるかというと、あまり現実的ではないでしょう。となると、最初のうちは「最低限食べていける」算段は確保する必要があります。これもまた大事な「4」です。

わたし自身、会社を辞めてしばらくは、それまでやっていた広告デザインの仕事を下請けしながらカラーコンサルタントの学校に通い、資格を取り、アシスタントを経て講師のキャリアをスタートさせました。その後も「これまでやっていたこと」で食い繋ぎつつ、また新たなキャリアを並行してスタートさせる……というやり方で、じわじわスライドさせていきました。途中「で、結局何をやっている人なの?」と散々言われながら(この話も長くなるので、また別の機会に)。笑

他にも「ムリなく続けられる」方法はいろいろあると思います。最初は副業からでもいいし、誰かの扶養に入りながらでもいい。とにかく「続けること」は後々大きな実を結ぶ可能性に繋がりますから、すぐ結果が出ないからと諦めずに続けてみてくださいね。

そしてこれまた4=当たり前のことなんですが……

始める前に、あなたの「商品やサービス」はちゃんと形になっていますか?

この「形になる」も、4で表される質の一つです。ね、もうとにかく4だらけでしょう?笑

明日はこの「形になる・形にする」4について、もう少しお話ししていきますね。8の手前に4があるように、4を育てるためには1〜3が大いにヒントになります。どうぞお楽しみに☆

あなたの「天才の芽」の育て方

しばらく間が空いちゃってスミマセン。前回の「あなたの『天才』の見つけ方」おかげさまで沢山のかたに読んでいただき、コメントやセッションのご用命をいただきました。ありがとうございました。

さて今回は、せっかく見つけた「天才の芽」を「能力」と呼べるものに育てるコツを書いていきますね。「能力=何かが出来るチカラ」なので、実は「芽」の時点で既にそれは「能力」と言っていいんですが、もうちょっと【喜ばしい何か】に成長させるイメージで。

この【喜ばしい】というフレーズが、あなたの道を照らす灯りになります。

あなたがリストアップした「天才の芽」、それ単体ではあまり役に立たないような、大したことがないと思えるような「苦にならずに続けられる」こと。それらを一枚の紙にまとめて書くか、一つずつカードやフセンに書くかして「目に見える形」にしてください。紙に書く時は、周りに十分な余白をとっておいてくださいね。

それらの「芽」をじーーっと見つめながら、全部でなくてもいいので「誰かを喜ばせるのに使えないかな?」と考えてみてほしいのです。一つの芽だけでもいいし、いくつか組み合わせてもいいです。同じ芽を別の誰かのためや、別の喜ばせる何かのために使っても、もちろんオッケー。とにかく【誰かを喜ばせる】という目的と、あなたが【無理なく出来ること】を気楽にリンクさせてみましょう。思いついたアイデアは、紙の余白やフセンに書き込んでいきます。

この時点で「既にやっていること」も沢山出てくると思いますよ。「そう言えば、やたら喜ばれたことあったなあ……全然大したことしてないんだけど」と思い当たる人は、それこそがあなたの「天賦の才能」なのだと自覚してくださいね。笑

もし「やったことがない」アイデアを思いついた人は──素晴らしい!それこそ《本体》からのガイダンスです。ぜひ試してみてください。既に体験済みのアイデアももちろん、また何度でもやってみましょう。ここでの大事なポイントは、

実際にやってみる時は「誰か」ではなく「あの人を」喜ばせよう!

つまりフワッとした「誰か」じゃなくて、あなたのその【無理なく出来ること】を【喜ばしい】と思ってくれる「あの人」でないと、せっかく出た芽も育ちにくいんです。この「あの人」に、あなたがまだ出会ってない場合もあります。アタリをつけて探しに行ってもいいし、向こうに見つけてもらえるような「合図」を出し続けて待つ、という方法もあるんだけど……

実は「まだ見ぬあの人」との出会いを早める、とっておきの方法があります。なんか恋愛のおまじないグッズの広告みたいですが。笑

最初に「意図」する。そしていろんな人に会って、話す。

何を「意図」するかで、出会う人が変わります。「わたしのコレとアレを喜んでくれる人と出会いたい!」というように、明確に意図してくださいね。そしてこの時に、必ず【あなたが出来ることで、相手を喜ばせる】というスタンスを守ること。一方的に「教えて教えて」はダメです。相手を喜ばせるより「認めてもらう」とか「お金になる」といったリターンにフォーカスしても、うまく行かないですよー

これ別に精神性がどうとかって話ではなくて、物事が広がって豊かになる仕組み自体がそうなってますねん、というだけで。数秘だと「8だよね。」の一言で終わるんで便利。チャートに8のあるなし関係なく、シンボルの意味を理解している人なら「豊かになる仕組み」は使えます。

そして意図がハッキリすればするほど、求めるものに繋がる出会いが、まるで魔法のようなタイミングで訪れます。本当に。いきなり「その人」に出会えなくても、繋がる人やヒントをくれる人に絶対出会います。だからすぐに結果を求めずに、流れを信頼して動いてみてください。

SNSでつぶやくのも悪くないけれど、つぶやく前に「声に出してみる」のをお勧めします。実際にコトバが自分のノドを通った瞬間「あれ、なんか違うかも?」とか「そうそう、これ!」といった直感的な感覚がやってきます。「なんか違う」コトバは「なんか違う」出会いを引き寄せるので、気をつけてくださいね。

相手の喜びと自分の喜びが重なった時、あなたの「天才の芽」はスクスク育ちます。

どちらか一方だけだと「空回り」するので、前に進めません。この【双方が喜ばしい】という視点が、これまた数秘でいう「2の時代」ならではだなーと、マニアックな実感を深めております。2020年、ダブルの2。ついでにこの7月は、2+0+2+0+7=11/2で「2の月」なんですなあ(これについては別記事で書きますね)。

そうそう、どうせなら「天才の芽を見つける」作業や「それを組み合わせるアイデア出し」も、一人ではなく「いろんな人」とやってみると面白いですよ。グループでやるのも楽しそう。そういうWSやろうかな? リクエストあればぜひお寄せくださいねー

WSの開催が待てない、いきなり大勢はちょっと……という人は、個人セッションでどうぞ。対面・オンラインどちらでもOK。たっぷりアイデアが出せる60分コースがお勧めです。

「幸せな人ほど成功する」って、本当? 順番、逆じゃない??

あなたはポジティブ?ネガティブ?

って思いますよねー。そもそも「成功しない」から「幸せじゃない」人は、どうすりゃいいのさ。ぷんすか!

ところが世の「成功法則」のトレンドは、どうやら「先に幸せになっとく」スタイルらしい。

先日、ある友人とオンラインで打ち合わせしている時に「ひろかもさん、知ってます? 今時の心理学は《Happiness Psychology》らしいですよ」と聞き、何ソレ楽しそう!とネットでいろいろ調べてみたんですね。そしたらKindle Unlimitedで、どうやらそのルーツらしい「オプティミストはなぜ成功するか/マーティン・セリグマン 著」という本を見つけました。

元アメリカ心理学会会長のセリグマン博士は《ポジティブ心理学の父》と呼ばれており、それまで主流であった「問題」にフォーカスする手法ではなく、どうすれば人がもっと「幸せ」になれるのか?という視点からの研究の第一人者。「成功する」生命保険の外交員やメジャーリーガーetc.に共通する要素を発見しました。それは

オプティミスト(楽観主義者)であること。

ペシミスト(悲観主義者)よりも明らかに「仕事や学業で良い結果を出す」こと、「うつ症状が出にくかったり、再発しない」ことを調査で実証したんですね。さらに特筆すべきは、もともと楽観的ではない人でも《楽観的思考をトレーニング》することで、同様に良い結果が出せるようになるとのこと。

実は本の中に載っている「楽観度テスト」をやってみたところ、わたくし総合結果としては「かなり悲観的」って出たんですよ。衝撃!笑

さらに読み進めていくと、実は「ペシミスト」は「現実を正確に捉える」能力が高い。とありました。また「楽観主義は《補佐するもの》でしかなく、それだけでは意味を持たない」とも。つまりはどちらも使いようなんですな。

何でもかんでもポジティブにとらえる、というのは、いくら本人がハッピーでも現実性に欠けますよね。《ポジティブ心理学》が勧めるのは「柔軟な楽観主義」。

ネガティブな部分も「あるよね」と受け入れつつ、それを「反芻せず」、自らに「明るく反論」することで元気づけ、エネルギーを取り戻す。

いわば「人生の知恵」なんですよね。これは「発想の転換スキル」であって、失敗や挫折の体験を「これも大切な学びね☆」とか「いやいや、あんなのは『失敗』とは言えないよ」などと無理やりハッピー!に持ち上げるもんではないんです。

要するに、自分の体験や気持ちを《否定しない》。でも、わざわざ傷口に塩を塗りこむようなこともしない。バンソウコウで覆い隠すわけでもない。「今回の」コケた理由を「正しく」認識し、過去や未来とむやみに結び付けない。そして「コケたけど遅刻しなかった」とか「とっさに身体が動いたので、大怪我は免れた」というような「良い事実」にもちゃんと目を向ける。こうした思考の切り替え方は、子供でもトレーニングで身につくそうです(本にも練習方法が紹介されています)。

これ、いわゆる「レジリエンス:立ち直り力」を伸ばすってことかな?と理解したんですが。さらに続けていくうち、だんだん失敗そのものへの耐性というか「気にならない度」が上がっていくんじゃないかな。そうなると「ま、とりあえずやってみよっか♪」というモチベーションも続くので、結果的に「成功率が上がる」んだと思うのです。

もしあなたが「ベテランの悲観主義者」だったとしても、そんな自分を「気に入っている」なら、別に問題はないと思いますよ。ただ「いつも」とか「結局」というワードが枕詞についているなら、要注意。なぜならそれは、根っからの楽観主義者と同様に「現実性に欠ける」からです。そこは大いに見直す余地アリ、です。

タイトルにある「幸せな人」とは、オメデタイ人……という意味ではなく(笑)楽観的思考を使って、上手に自分を元気づけられる人ってことですね。そしてそれは「知恵」であり「スキル」なので、磨けばなんとかなりそう!というのも嬉しい。

実はこうした「思考の転換スキル」や、それ以前に「自分の思考グセに気づく」のに《数秘》がめっちゃ使える……!ということを、最近ますます強く感じています。個人セッションでも良いのですが、オススメは「講座」です。それも1〜9のシンボルをしっかり学べる、現代数秘のほう。何ならこのパートだけ独立させて別講座にしてもいいかな?っていうくらい《自分の無意識のジャッジ》に自然と気づけて、その上で《新しい視点の追加》がどんどん出来ちゃうので楽しいですよー。

わたしはずっと「世界の仕組み」が知りたかった。より正確に言うなら、世界が《幸せであれる》仕組み、だ。幸せは一人ひとり違っても、世界の仕組みは「共通のもの」だと思うから、きっとみんなの役に立つだろう──そう思って、数秘もカラーも禅タロットも続けてきたのだと思います。あと「教える」仕事も。これからも同じ思いで、探求し続けていくつもりです。

6月末まで、オンラインでのセッション&講座がとってもお得になってます!【お家であんしん割】どうぞご利用ください。

「本当の自分を思い出す」って、そういう意味だったのか!

自我と本体=魂、存在との関係

実はセスシリーズを読んで一番目からウロコだったのは、前回書いた「思考の現実化」よりも今回のハナシなんです。前々回に「わたしたちは《多次元的存在》らしいで」という話を書きましたが、その仕組みの一部を描いたのが上のイラストです↑

わたしたちが「自分」だと思っているのは、「物質世界という設定」で見た時の自分の姿:バーチャル・リアリティ

つまりね、「わたし」という自我:egoは、自分自身の本体:entityが「物質世界」を体験するためのVRゴーグルみたいなもんで、そのegoを通して認識している自分は言うたらまあ「仮の姿」なんです。でもそれは「本体目線」で見れば、の話で、生まれた時からガッツリこの世界=現実と信じて生きてきた者としては、当然「これが《わたし》だ!」となるわけですね。

というか、そう「信じ込んで」ないと「ガチ体験」出来ないじゃないですかー。だから人類みなegoが見て聞いて触れられる世界=ザ・リアル。という「ルール」を遵守してます。そういうゲームに参加してるんです、わたしたち。ということらしい。

でね、ナチュラル・ボーン・バーチャルな我々でも、うっすらと「……本当のオレってコレじゃないよね? どっかに本体居るよね? それがもしかして《魂》とか《存在》ってヤツじゃないの??」とか勘づきだす。しかしながら、セス曰く「誤った解釈があとを絶たない」状態になっちゃった。。

魂は「完成品」でも、あなたに「属するもの」でもないし、誰かに「捧げ」たり「奪われ」たりするもんでもない。

ちなみにセスは《魂:soul》より宗教色が薄いという理由で《存在》あるいは《本体》と訳されている《entity》という言葉を好んで使ってます。存在、だとbeingという単語を連想する人も多いと思うので、このブログでは《本体:entity》と表現しますね。

あなたは、これまでもこれからも《本体:entityそのもの》で、体験する「現実」の枠組みに合わせた「表れ方」をしているだけだ、というんですね。そしてあなた自身である《本体》は好奇心と創造性のかたまりで、絶えず【何かになろうとしている状態】なのだと。つまり「魂=目指すべきゴール」ってわけじゃない。というか、そもそも「ゴール」なんて、ない。

この世界の「あなた」と同じように、たくさんの「あなた」が様々な「表れ方」でそれぞれの世界を体験し、本体にフィードバックしている。言うてみれば、スマホやタブレット、PCといったそれぞれの端末からの情報を「クラウド」に集めるみたいなもんですね。さらに端末同士でもBluetoothで相互にやり取りできるように、多次元に存在する「あなた」同士のネットワークもあるのですが、残念ながら我々の「物質世界」では、これらのやり取りは「ない」ことになっている。

とは言え、実際には「夢の中」とか「ふとした閃き」といった形で受け取ってはいるようです。そして、この回路はあなたがOKを出せばもっと広がるとセスは言うんですねー。OKを出す=そういう仕組みであると受け入れる、ってことなので、少しでも皆さんのお役に立てれば……と、こうしてブログを書いてます。

ちなみに当然ながら、あくまでも「この世界=現実」という人生を送っている以上、いくら多次元的存在からの情報をゲットしたとしても、それで万事が順風満帆♪ってことはないです。それだと「物質世界を堪能した」ことにはならないので。

ただセス曰く、我々が「あまりにも物質的現実に捉われ過ぎている」のを見かねて、メッセージを送ってきたそうな。というのも、「物質的現実と《内なる現実:本当の自分》の両方を理解し、建設的に利用していく」というのが、このVR人生の真の目的らしいので。ついうっかり「バーチャルに全フリ」しちゃったんですねー、本体が。さじ加減間違えたか?笑

そんなこんなで、システム上ついつい「本当の自分」を忘れがち・別個の存在と認識しがちなわたしたちですが、元々はもんのすごーーくパワフルな「創造者」ってことになりますね! セスの語りは半世紀前のものですが、今や物理学に神経科学、心理学や哲学といった様々な分野で探求されているテーマと、どんどん重なっていっています。ますます「世界の仕組み」が、もっと言えば「より幸せに生きるための仕組み」が明らかになりつつあることに、わたしは日々ワクワクしています。

わたしはそうした情報を、出来るだけ楽しく分かりやすく伝えることと、それらを「実際に」一人ひとりが「自分のために」役立てられるようなお手伝いをすることを、これからも「仕事」として提供していくつもりです。最近は「数秘」のご用命をいただくことが多いんですが、さすがうちのクライアントさんたちは鋭いな!

というのも、数秘を「より深く知る」ことは、あなたが《何を信じているか:belief》を自然と明らかにしてくれる→不要な思い込みは上書きできる→より好ましい現実をつくり始める流れになるからです。この続きは、また近いうちに!

こうして「思考は現実化」する

思考が現実化する仕組み

このイラストを書くにあたり、どーーしても日本語訳だけでは不確かなところがあったため、とうとう原書にも手を出してしまった……さすがにまたイチから英語で読む体力と気力はないんですが、思ってたよりずっとシンプルな英文で助かりました。といってもオリジナルにも「挿絵」はないので、上図はあくまでも「現時点でのひろかもの理解」と受け取ってください。

「あなたの現実をつくっているのは、あなた自身です:You Make Your Own Reality」

これがセスシリーズの中で、最もしつこく繰り返し強調されているフレーズです。本当にもーー何度も何度も登場するのですが、そのココロはつまり、

「あなたは自分のエネルギーが、感情や思考、情動に変換され、全ての経験を引き起こしているのだということを学び理解するために、肉体を持って存在しています。例外はありません。

と言うんですね(太字部分は、原書では下線を引いて強調)。別の言い方をすれば、それがこの「物質世界における共通の表現システム」であり、わたしたちは物質世界という枠組みの範囲で、本来自由に創造できるのだと言います。

なので、まず最初にこの「システム」を理解し【自分がたった今、どのように自分のエネルギーを世界に向けて放っているのかを知る】重要性を、セスはあの手この手で説いてくれてます。その一番とっかかりの部分をイラストにしてみました。

ポイントその1:わたしたちの本体は「エネルギーそのもの」であり、それぞれに「独自の表れ方:feeling-tone」がある。

このfeeling-tone(日本語版では「感情のトーン」となっていますが、わたしは「(世界のあらゆるものに対する)感じ取り方」と捉えています)こそ、最も根底にある「自分らしさ」と言っていいかと。いわゆる性格というよりは、エネルギー体としての「波形」に近いと思います。

ポイントその2:自身のfeeling-toneをベースに世界と関わる中で、さまざまな「観念/信念:belief」を作り上げ、いくつかの核:coreとなるbeliefから派生するような構造を持つようになる。

平たく言えば、belief=そうであると自分が信じているもの/こと。「お金がないと生きていけない」とか「年をとると弱っていく」とか「わたしは愛されている/いない」とか、言語化されないレベルも含めてのあらゆるもの/ことを指します。

ポイントその3:自らが「そうであると信じている:belief」を土台に、絶え間なく「思考:thoughts」や「感情:feelings」「情動:emotions」が生成されている。

ま、これは分かりやすいですよね。イラストには描いていませんが「イメージ」も同じように、自らのbeliefに従って思い描かれています。で、ここからが本番。笑

ポイントその4:これらには全て【電磁的実体:electromagnetic realities】があり、外の世界である「場」に影響を与えている。似たような質を持つ電磁的実体はお互いに引き付け合って集団になり、「出来事」や「状況」つまり【あなたの経験=個人的現実】を作り出す。

原書では「空気:atmosphere そのものに影響」とあるのですが、2020年の今なら「量子場:quantum field」って言っちゃってイイと思います。セスがしばしば「あなたがたの言う《空間》というものはない/間違っている」と繰り返しているのも、わたしがそう判断する理由です。

ぶっちゃけこの部分に関しては、まだ「現代の地球の科学」によって証明はされていません。ですが「思考が電磁的実体を持つ」こと自体は、脳波が計測できることからも明らかでしょう。そして「電磁力が場に影響を与える」ことも、皆さん既にご存知です(理科で電気や磁気を使った実験、いろいろやりましたよね?)。

また、わたしたちの思考の「指向」が、実際に世界をどう見て受け取っているかを左右することは、数々の実験で証明されています。記事の最後のリンクも合わせてご覧ください。

ポイントその5:あなたの「自我:ego」は、外側の枠組み=物質世界にフォーカスを定める役割を果たしている。しかし実際には「本体:entity」と常に繋がっている。切り離されることはありえない。

えーーこの「自我と本体」の関係性については、次回に改めて書きますね。ここは【自己に限界はない:The Self Is Not Limited】という、これまたセスが何度も強調しているキーフレーズと大いに関係がある、最重要ポイントの一つなんです。

たとえ話を一つしておくと、両者の関係は「一つひとつの細胞と全体としての身体」みたいなものです。セス曰く「自我は絶え間なく変化し続け、死んではまた生まれ変わっている」のだと。わたしたちの身体を構成する細胞は5年前とは相当数入れ替わっているはずですが、にもかかわらず「自分の身体」と認識し続けていますよね? 一つひとつの細胞もまた、間違いなく「わたしの」細胞ですよね? そして細胞は常に「本体」から生成され、本体の活動を維持するために働いているのです──

わたしたちが「経験する現実」は、わたしたち自身がつくりだしています。あなたが「現実を変えたい」と思うなら、まずは【自分が何を信じているのか】を知ることから始めるしかありません。

・・・

前回の「あなたが『自分』だと思っているのは、単に『3次元限定で見た時のビジョン』かもしれない説。」については、その後偶然知った「二人目のセス」の動画(TED2017)を、ぜひご覧いただればと思います。名前とテーマを見て、自分の引きの良さにビビりましたわ。笑

「脳が音を聞いたり光を見たりしている訳ではありません。私たちが知覚するのは、世界で起きていることに関する『最善の推測』です」

【脳が「意識された現実」という幻覚を作り出す仕組み:Your brain hallucinates your conscious reality | Anil Seth】

あなたが「自分」だと思っているのは、単に「3次元限定で見た時のビジョン」かもしれない説。

わたしたちは、無数に同時進行する多次元的存在……かもしれない

実はNewton別冊(次元のすべて)の後、さらに「すごい物理学講義/カルロ・ロヴェッリ・著」という本を、夢中になって読んでました。スティーブン・ホーキングの再来とか物理学をセクシーにした男とか元ヒッピーで15歳で放浪の旅に出たとか、いろいろ気になりすぎるYO! むしろ文系人間のほうが楽しく読めるかもなので、興味があればぜひお手にとってみてみて。

でね、語りたいことは山ほどあるのですが、キリがないので本日のお題に入りましょう。最初にお断りしておくと、今から書くことはあくまでも「現時点での、わたし個人の見解」です。

わたしたちは世界を「3次元の立体+1次元(かつ一方通行の)時間」としか知覚できないだけで、この世界自体には「人間には感知できない次元」が《物理的に》存在してるんじゃないか、と思ってます。それが何次元まであるかは分からないけど、4次元以上の世界がどうなっているか?を、具体的にイメージするのは人類には至難の技なんですねえ。

さらに言うと、正直「3次元」ですらアヤシイ。というか、実際に我々が自分の目(と脳)で見ている世界は「擬似3D」なんですよね。360° 全部を一度に把握することは出来ないシステムなんです。基本、ある次元の住人は「一つ下の次元」的な捉え方しか出来ない。立方体は「3D」ですが、そのすべての面を一度に見ようと思ったら「平面図:2D」に展開しないと無理でしょ?

……ということは、我々の住む「3次元世界」は「4次元世界の展開図」とも言えるんです。「展開図が立体になる物体って、どういうカタチなん!?」てなりません? だから実際には4次元より高い次元が存在していても「人間には感知できない」。でも「数式」上では9次元とか11次元といった世界が存在できる。不思議ですよねー。笑

でね。ここでもう一つ別の「世界観」として《多元宇宙論》というものがあります。いわゆる「パラレルワールド」とか「世界線」とか言われてるアレ。そんなんSFの世界やーん!と思うんですけど、これが「量子レベル」だと普通にアリかも?となってくる。もちろん、我々には見えない。でも、そんな我々も、元を正せば量子で出来てる。「見えないところ」にパラレルワールドがあるかもしれん。

セスはハッキリと「人格を持つ存在はすべて多次元的存在」であると断言し、シリーズを通して何度も繰り返しています。無数の「パラレルワールド」が存在していることはもちろん、その中には「異なる体系」の世界もあると。むしろ、我々の住む「3次元の立体+1次元(かつ一方通行の)時間」というシステムのほうが珍しいというんですね。上のイラストはわたしの妄想ですが(笑)「肉体を持たない体系」や「地球とは全く違うボディを持つ体系」も、わんさかあるらしい。中にはイラストみたいに「天地が逆さ系」もあるかもよ?(とは書いてなかったけど)

さらに驚くことに「わたし」という人格は、今ここで自覚している「わたし」一人だけでなく多数の「多次元的存在」に分かれていて、それぞれが「同時進行」で生きているというんですね。しかも実は「相互にコミュニケーションをとって情報交換」していると。それに我々は気づいてない(というか次元的な知覚の制限で「気がつけない」)と。おーまいがー!

もちろん「現代の地球の物理学」ではトンデモ説と言われそうです。でもね、冒頭のカルロの本の中には、紀元前の古代ギリシャのトンデモ説が最先端の「場の量子論」に近い発想だった……てな話がゴロゴロ出てくるの。その後の歴史においても、当時はトンデモと言われて相手にされなかったアイデアが、数十年後に数式化されて、実験でも証明された!という事例には事欠かないんですよ。

セス曰く、わたしたちの「本体」はこの次元を超えた存在であり、肉体を含む物理的な形態はすべて「カムフラージュ」だと言います。高さ・幅・奥行きしかなくて、過去→現在→未来へと時間が連続して流れ、決して後戻りできないように見える「偽装」なのだ、と。そのような制限の中でしか体験できないことをするために、あえて装うだけでなく、そっちを「本体」と思い込むスタイル。あれ、この設定、昔映画で見たよね……キアヌ・リーブスいたよね……笑

ただし、セスの言う「カムフラージュ」システムには、別に我々を操っている存在がいるわけではありません。エージェントもいません。それどころか、もしあなたが今、自分の「カムフラージュ」を気に入っていないなら、意識を使って変えることすら出来ると言います。なんですとー!

この《意識》という言葉も《次元》同様に、人によって定義がさまざまなように思います。そして今現在も《意識》とは何か、どこから生じるのかについては、哲学でも科学でも答えは出ていません……でもおそらく「3次元を超えた」システムで動いているような気がします。だってアミノ酸のかたまりに意識が宿るなんて、そのほうが「トンデモ」じゃないですか?笑

そう考えると、人間を「物理的なカムフラージュ」を持つが、本当はそれ以上の次元の存在であるとみなすのは、そんなに不条理でもないような。そして未だ「それ以上の次元」についてが未知である限り、パラレルワールドや、多次元にまたがるネットワークの存在もまた「可能性」として否定は出来ないのかなーと考えています。

セスの語るストーリーは本当に魅力的で、わたしにはどうしてもただのSFには聞こえないんですよね。「あなたがたの思考や感情には、電磁的な実体があります」とかね、むしろ1970年代当時より今のほうがピンと来る人、多いんじゃなかろうか。

その「電磁的な実体」を持つ思考や感情によって何が起きるのか、それらと《意識》との繋がりなどについても、少しずつ書いていくつもりです。うーん、文字で書くの、まどろっこしいわー!笑

ちなみに……量子力学の「常識」として、我々の世界の大半は「電磁力」によって動いているのですよ……ふっふっふ。

宇宙のスタンダードは「高次元」より「多次元」

英語と日本語での「次元」の捉え方の違い

セスシリーズに続いて、「すごい宇宙講義/多田 将・著」を2日で読み終え、昨日からは「Newton別冊『次元のすべて』」を読み始めています。また本読んどるやないか。笑

というのも、セスが語る情報においては「次元」っていう言葉がぶっちゃけ最重要キーワードなので、ここをきちんと整理しておきたかったんですよね。で、前からこの「次元」の捉え方にはモヤっとしてたんだけど、ここへ来て

「高次元⇔低次元」ではなく【多次元⇔単次元】という視点が、実は宇宙のスタンダードなんでないか?

という「最有力説」を持つに至りました。「高低」って言うと無意識に「天地/上下」のタテ方向を思い浮かべるでしょう? その時点でかなり「限定的」な捉え方になるんじゃないかな、と思うのです。

英語で次元は【dimension】つまり「大きさ」とか「範囲」を表すワードなんだけど、日本語の「次元」って一般的には数学や物理学の用語というよりも【layer:層】とか【level:高さ】のニュアンスで使われてません? で、それを「高低」つまり「上下に積み重なってるor連なってる」的にイメージしてる人、多くない??

そうじゃなくて「より多くの視座に立つ→より多くの情報を得る→可能性が広がる」という意味での「次元上昇」、という発想はどうでしょう。例えるならテキストより画像、画像より動画のほうが格段に「表現の可能性」が増えるように。

ちなみにこの記事の草案をFacebookに投稿した際、ある人が「宇宙には高いも低いもないよ、高いか低いかは重力にとらわれた世界だよ的な話を聞いて目からウロコだったの思い出しました。」という、とても興味深いコメントをくれたんですね。まーさーにー!

ちなみにこの場合の「宇宙」は物理的宇宙の話ですが、ほとんどの人類は「実物の宇宙」を自らの五感を通して「実際に体験」はしてないですよね。だからもしかしたら我々の知っている(と思っている)宇宙なるものは、本当は「実在しない」かもしれない。笑

事実、最先端の宇宙物理学をもってしても、宇宙を構成する実に4分の3!は「正体不明」なんだそうです(多田先生の著書曰く)。それくらい「分かってない」世界に、わたしたちは生きている。そしてわたしたちは「立体=3次元+時間=1次元」というシステムの中にいるので、それ以上の次元がどういう世界なのかを本当には体験も認識も出来ません。これはねーー修行でどうにかなるレベルの話じゃない。2次元の平面世界では、どうやったって3次元「っぽいイメージ」しか描けないのと同じ。

もし「いや、そんなことはない!精神性を磨けば、6次元でも8次元でも《到達》出来る!」という人がいたら、その人のおっしゃる「次元」とわたしの言っている「次元」は別のハナシですね。三角形は点や線を足せば五角形にも八角形にもなるけれど、「高さ」という未知なる座標軸がない限り「立体=ひとつ上の次元」にはなれません。そして「高さ」軸が生まれた時点で、そこはもう「平面」ではなくなる……

でも、わたしたちが認識しようがしまいが、タテ・ヨコ・奥行き以外の「未知なる座標軸」が存在してても不思議ではありません。数学者や理論物理学者の皆さんは、バンバン9次元だの11次元だのおっしゃってますし。笑

そして「セス」もまた、我々とは異なる次元が「無数に」かつ「同時進行で」存在すると明言しています。それは50年前には現代以上に荒唐無稽に聞こえたでしょうが、スーパーでも買える雑誌に「場の量子論」が紹介されている2020年なら、俄然真実味を帯びてくる、とわたしは感じています。

少なくとも、既にわたしたちの世界においても【dimension】としては「多次元」なんです。そこにあるのは「より多くの視座」であり「情報量」であり「表現の可能性の広がり」です。まずはイメージでいいから、わたしたちの世界にも既に「未知なる次元が無数にあるかもしれない」という設定を持ってみませんか? それが何になるのか、という話を、今後少しずつ綴っていくつもりです。

色も数もカタチも言葉も、すべては「自分が誰かを思い出す」ためのシンボルなのだ。

シンボルのチカラ

「セスは語る」ようやく読了しました。先に読んだ「セス・ブック 個人的現実の本質」と合わせて計1,440ページ、1ヶ月かかりましたわ。まーーひたすら濃かった!

こいつずっと本ばかり読んで何してんだと思われてたでしょうが、それは自分でも思ってました(爆)でも今「アップデート」しとかないと、絶対アカンやろという直感があったんです。これまで自分がベースとしてきた価値観や世界観を、根底から見直さないと、この先わたしはいつか後悔する。「応急処置」的な仕事はもうしたくない。今よりもっと深いレベルから、本当にその人の助けになることがしたい。

そのためにも、わたしは「この世界の仕組み」を知りたかった。理想主義すぎると言われても、誰もが「生きてて良かった」「この自分で良かった」と思える人生であってほしい。そのために自分が出来ることをやりたかったのです。

「セス」シリーズを2冊読み終えてみての最大のインパクトは、その人の【可能性】という表現が意味する広さと深み! これまで散々使い古されてきた【本当の自分を思い出す】とか【わたしは誰か】といったフレーズを、わたしはなんて狭い視野で捉えていたのかという衝撃は、なかなかのもんでしたわ。

一方で幸いなことに、わたしが長年並々ならぬ興味と情熱を持って取り組んできた「色・数・カタチ・言葉」は、ある意味ですべて【シンボル:象徴】であり、しかもそのシンボルを一人ひとりが読み解くほどに、自らの本質に近づいていけるのだという下りは、非常にワクワクしながら読みました。とはいえこれらの読み解きのプロセスは、いわゆる「内観」というのとも違う、もっともっと豊かな知覚を伴った体験になりそうです。

わたしはここ一週間ほど様々な「実験」を楽しんでおり、文字どおり「世界との接し方」に変化が生じています。例えば明らかに自分の身体の「境界線」が曖昧に、なのに鋭敏になっていると感じたり、覚醒時の自分と睡眠時の自分との間に、何かしらの「キャッチボール」が起きている感覚があったり。夢もよく見るようになりました。

中でも入眠時に個人的な【シンボル】を「追いかける」ことで、自分の中で何が起きているのかが明らかになるという体験は、非常に興味深いです。このプロセスの面白さは、単に「起きていることが明らかになる」だけでなく、そこから自分の望む形にシンボルを「変化させる」ことが可能なんですね。で、そうしたシンボルの変化は、のちのち現実の世界にも変化をもたらすんです。気のせいじゃないですよ? 実際、目に見える形のものなので。ただ余りにも内容が個人的なのでシェアしづらいんですが、いろいろやっているのでそのうち書けそうなものは書きますね。

とはいえ、同時に「言語化の限界」も強く感じています。だって……書けば書くほど、アヤシイ話になるやん?笑

セスに言わせれば、そもそもわたしたちの見ている「世界」自体が、あまりにも「物質的表現」と「直線的な時間の概念」に特化した、特殊で制限されたシステムだから、ということなんですが。それでいて、その「制限」自体にも理由と意義があると。わたしたちが今【物質界に生きている】というまぎれもない事実を「過不足なく理解する」ことがすごーーく大事なポイントになりそうです。制限に囚われすぎず、かといって妄想的にもならずに。物質を絶対視しない、けどないがしろにもしない。

「過不足」というと、ついプラス/マイナスとかイエス/ノーの「二極間」で考えがちだけど、そうじゃないんだと思います。これからの(というか本来の)バランスは「今ここを中心に、あらゆる方向に同時に」なんじゃないかな。

その意味でも、決してこれまでやってきたことの「否定」をするつもりはなくて、むしろ「新しく開かれた可能性」という感じのほうが強いです。自分のキャリアに関しても。とにかく大量のインプットを、これからどういう形で消化吸収→アウトプット=皆さんへ分かち合えるかというのを只今検討中です。特に【シンボルを使った現実化】については、既存のツールでも十分活かせると思います。というか、実は既にやっていたんですけどね……今後は「仕組み」を踏まえて、より効果的にワークするよう意図していくつもりです。

なお未だ新型ウィルスが終息したわけではありませんので、引き続き5月いっぱいは【オンラインメニューのみ】営業とし、対面メニューにつきましては6月以降、まずは滋賀県内のお客さまを対象に状況に応じて再開していければ……と考えております。「お家であんしん割」も継続しますので、ぜひご活用くださいね。

わたしが50年、心底望み続けていたことは

世界の仕組みをわたしは知りたい

この世界の「仕組み」を知りたい。

ただシンプルに、それだけだったんだと思い至りました。

パンデミック以降、いくつかの仕事がなくなったり延期になったり、大幅な仕様の変更が必要になったりして、一時期は対応に追われてバタバタしていました。が、GW明けにひと段落ついた後、自分の中の何かが途切れてしまい、ほとんど仕事らしい仕事もせず、ずーーっと本を読んでいました。

世間では、ぼちぼち「再始動」の兆しも見え始めているというのに、個人周期2の年・7の月のなせるワザか(笑)自分に問いかけ続けるような時間が増えていきました。

「わたしは本当は、何をしたいんだろう?」
「これまでしてきたことと、何か繋がっているんだろうか?」

上の写真に写っている「セス・ブック 個人的現実の本質」という電子書籍をダウンロードしたのは、まだバタバタの途中にあった4/23。読み終わったのが昨夜、つまり5/16。700ページ弱というボリュームは確かに少なくはありませんが、人一倍「読むのが早い」わたしにしては相当時間がかかりました。毎日のように読んでいたけど、数ページ読めば「お腹いっぱい」という感じで、本当に少しずつしか読めなかったのです。

この本は日本語版こそ最近(紙版が2012年・電子版が2017年)ですが、原著は1974年初版と実に半世紀近く前!です。タイトルと表紙の帯コピーの壮大さに「ホンマかいな」と最初はスルーしてたんですが、何となく気になってポチってみたんですよね。Kindle Unlimited対象だったし、タダ同然で読めるなら……と。セコい。笑

この本は「セス」と名乗る存在が、一人のアメリカ人女性小説家を通して語り、女性の夫がその口述を記録したものとされています。いわゆる「チャネリング」ですね。

なのでまあ、それこそ「妄想大巨編」である可能性も十分あるわけです。が、読み始めてわたしはすぐ「あ、これホンモノだ」と直観しました。直観なので、論理的根拠はありません。でも、これが全て妄想だったとしたら完成度が高すぎる!というか、妄想で片付けるには無理があるレベルの整合性だし、特定の宗教や文化に左右されない「普遍性」を強く感じたのです。

時代的には「エドガー・ケイシー」や「(シルバーバーチの霊媒として知られる)モーリス・バーバネル」のほうが先なんですが、どちらとも毛色が違う感じ。先人をパクってる風でもなく(←失礼すぎ)セスはその普遍性ゆえ、驚くほど「現代的」です。古さを感じない。

実はこの本は日本語訳ではシリーズ2作目で、先に「セスは語る」という本が出てるんですね。で、今そちらも読み始めていますが、こっちは割とサラッと読めます(当社比)。ただ、わたしがずっと「知りたかった」ことは「個人的現実の本質」のほうに書かれていると感じています。

最初に書いたように、わたしは【この世界の仕組み】がどうなっているのかを、物心ついた頃から知りたがってきたのです──今にして思えば。そして、その「仕組み」に大きく関わっているのは「色とカタチ」であり、その両方に共通なのが「」であり、それらを探求・理解し、また誰かに分かち合うために「コトバ」が必要だった。それらを高いレベルで扱える必要があった。

残念なことに、人生の割と早い段階で「数学」特に「幾何学」につまずき、その余波で「科学」全般、特に「物理学」に、学生時代は興味が持てないまま過ごしてしまいました。

ところが大人になって改めて「色彩」を学び直すプロセスの中で「素粒子」や「周波数」に興味を持ちだし、パーソナルカラー&スタイルに出会い、オーラソーマ®に出会い、そこで数秘に出会い、数のシンボルとしての図形に出会い、長らく敬遠してきた「立体」にも手を伸ばし始め……というタイミングで、自身に問い直す時間がたっぷりと与えられ──

そうか、わたしはずっと「どうすればそうなるのか」「なぜそれはそうなのか」という、根本的な仕組みが知りたかったのか。

という、一番根っこにあった「望み」に気づくことが出来ました。

「仕組み」という意味では「なぜ今それが売れるのか」という「マーケティング」にもとても興味を持っていますし、一時期はセールスライティングを学んだこともありました。でも「セールスライターになりたい」とは思えなかった。オーラソーマもたくさんの人から「いつティーチャーになるの?(なること前提か 笑)」としょっちゅう聞かれた時期もあったし、パーソナルカラーは一時期ずっと「養成する側」に立っていました(一応、今もそうですが)。

そのどれもにがっつりとコミット出来ない自分を「中途半端な何でも屋」だと思ってきましたけど……単に「そのどれでもなかった」だけでした。

と言っても、やってきたことを全部手放そうとしているわけではありません。むしろ何一つ手放すことなく、これまでのツールすべてを「人生を根っこから改善する」手段として使っていこうと思っています。

この半年ほど読み漁ってきた「思考と現実と量子力学」に関する情報も、セスの語る「より大きな視点」で統合合併されつつあります。そしてこれはもう根本的な話になるんですが、結局のところ、この次元で理解できることには限界があります。二次元の平面世界では、三次元を「シミュレーション」できたとしても、本当に「体験」することは不可能です。その意味で、どんな科学も今いる次元以上の世界を本当には解明できないでしょう。

わたしたちの住む世界は3Dの立体が時間軸に沿って変化し続ける「四次元」世界ですが、時間を見たり触ったりは出来ません。その一方で「思考(を生み出すマインド)」は過去・現在・未来を瞬時に行き来したり同時に並列に扱うことが出来ます。その意味では四次元を超えているようにも見えます。が、その特性を十分に活用しているとは言いがたく、むしろ「過去にとらわれる」とか「未来を心配しすぎ」というように、否定的にとらえることも少なくありません。

ですが、マインドを「今ここ」で「建設的に」使うことこそ、あなたの人生を根っこから改善する手段に他なりません。というのが、先人たちの知恵に触れ、自分自身の半世紀を振り返って得た確信です。

この確信はまだ育ち始めたばかりで、多分に「予感」に近いものなので、そのプロセスを促進するためにイエロー/クリアーの「70番:壮麗なるビジョン」ボトルを使うことにしました。色といい、番号といい、今のわたしにこれ以上ぴったりな一本はないでしょう。今、リンク張ろうとしてOAUのサイト見たら、一番下に「特質: 『自動書記』が始まるのを助けます。」という一文があって吹きました。笑

ここでいう「自動書記」は、自分自身の「存在」と繋がって何かを表現する、という意味でしょう。自分以外の「誰か」ではなく、より高次の自分自身としての「存在」と。

そして多分、どんな人もこれからは、そうした「自動書記」的な自分自身とのより深いコミュニケーションをとり、本来の資質をめいっぱい磨くことが「生きがい」であり真の「成功」になっていくんじゃなかろうか。世界はたった数ヶ月で劇的に変化しました。もう「前と同じ」には戻らないし、戻りたくないと思っています。あなたは、どうですか?