ひろかもが10年以上放置していた大量の書類を、突然捨て始めた話

窓からの光

ちょうど一週間ほど前、思い切って古い資料をドサっと処分しました。「いつか使うかも」と、干支が一周するまで寝かせておいた年季モノを。

実際必要になったこともありました……10年くらい前までは。笑

幸いほとんどシュレッダーにかける必要はないものだったので、本当にただホッチキスやフォルダーを外し、紙ゴミと燃えるゴミに分けるだけで、あっけなく終了。

他にもまだ大量にある事情から処分できずにいた「別の紙モノ」が残っていたんですが、こちらも数日前とある知らせを受けて、もう大半が不要になりました。

それで、以後もふと思い立ったタイミングでちょこちょこ処分しています。なんせ大量なので歩みは遅々としていますが、いいのいいの。少しずつでも、やらないより遥かにマシദ്ദിᵍᵒᵒᵈᵎᵎ

・・・

10年以上も溜まるに任せていた書類を、なぜわたしは突然捨て始めたのか。

それは遡ること2ヶ月前、クリーン実験室主宰のシンボリック・モデリング・ブラッシュアップWSを受講した時に受けた、20分ほどの練習セッションがきっかけでした。

クライアント役を務めたそのセッションで、わたしは「大量の書類がなかなか捨てられない」と《嘆いていた》んです。

直接的な解決に繋がるようなメタファーは出なかったか、少なくとも十分に発展したという記憶はありません。「何が起きればいいのでしょう?」と何度尋ねられても、

いやーーだからあの大量の紙を減らしたいんですよ。でも大量すぎてめんどくさくて、やる気が起きないの。あーーでも捨ててスッキリしたい!

「でもでも」の無限ループ。笑

結局、そのまま時間が来てセッションは終わってしまいました。が。

何ということでしょう!

2ヶ月後のある日突然、何の前触れもなくいきなり始まったのです。一体この間、わたしに何が起きていたのでしょうか。

無意識の領域でのプロセスなので、おそらく、ですが……

わたしは本当に、捨てて《スッキリしたかった》んです。

この先使うかどうかも分からない、あるいは確実にもう使うことはないと分かっているもので、限られたスペースが埋まっている現状にうんざりしていました。

意識の奥底に《望む状態に向かいたい》という意思があると、表面上はモンダイだらけで全く出来る気がしてなくても、それでも人は「そっち」に向かおうと足掻くのかもしれません。

そして、いつか芽が出て花が咲く。

わたしは大量の書類を捨てて、《清々しい気分と新たなスペースを手に入れたい》

セッションの間中「でもでも」と言い続けながらも、わずかながら《清々しい気分》がハートの辺りから全身に広がる感覚があったんです。

そしてその広がる感覚は、ちょうど12年前に今の家に引っ越す直前、内覧で窓から流れ込んだ一陣の風のようでした。そう、その風だ! 今ハッキリと思い出しました!

……そして、ハートの辺りから全身に広がるその風は、どこからやってくるのでしょう?

自分で自分に問いを投げてみました。すると、こんな答えが返ってきました。

書類を捨てるために、抜いた隙間から! さらにシュレッダーに掛けると、一層気持ちよく風が吹き抜けます!笑

・・・

第三者が聞けば「え、風?」とハテナマークしか飛ばないような話でしょうし、実際にその場で風が吹いたわけでもありません。

でも本人だけは、それをリアルに感じられる。そして、その風が何を意味するのかも、分かる。

これが【メタファーの身体化】です。

わずかでも身体化されると、わたしのように2ヶ月後に突如発動したりします。もっと時間をかけて十分に身体化しておけば、ひょっとしたらその日のうちに捨て始めたかもしれませんが、結果オーライ。

ともかく大事なのは《望む》こと。すべてはそこから、です。

さて、そう言われて今、あなたは何を《望む》でしょうか。パッと何か、出てきました……?

というわけで、この続きは「求めよ、さらばあたえられん(仮)」にて。

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