「才能=抜きん出たもの」という発想が、最もあなたの才能を摘み取ってる説。

才能とは持ち寄れるもの、分かち合えるもの

もちろん「明らかに人より抜きん出ている」才能、というものも存在しますが。

そこを基準にしちゃうと、正直しんどくない?

それなりに適性があってコツコツ続けていればね、「ある程度」まではイケると思うの。だけど「ある程度までイケてる人」って世の中にわんさといらっしゃるもんで、そこからさらに「抜きん出る」のってかーなーりー大変。

そして「抜きん出ている」からこそ人々の目に止まるわけで、その希少性が十分売りになる。まさしく「タレント:才能」ってヤツですね。

じゃあ「その他大勢」に埋もれ、なかなかスポットライトを当ててもらえない我々は、どうすりゃいいのでしょう。「自分の才能を活かした仕事」なんて、夢のまた夢なんでしょうか?

「才能=持ち寄れるもの」という視点が、あなたを「持っている側」にシフトさせる

この「発想の転換」に気づいたのはつい最近で、ちょっとこれ世紀の大発見じゃないの!?くらいには、自分的には盛り上がってます。いやマジで声を大にして言いたい!

ポットラック・パーティってご存知ですか? めいめいが得意料理を持ち寄るスタイルのパーティのことなんですが、才能って言わば【その場にあなたが持ち寄れる何か】なんですよ。

仮に「得意料理がない」人でも「代わりにワイン持って行く」とかね、何かしらやりようはある。テーブルを飾るフラワーアレンジや、BGMを担当してもいい。バーベキューコンロと炭は任せろ!とかさ。「パーティを盛り上げよう」という気持ちさえあれば、いろいろと考えるでしょ?

これが「パーティで人目を引きたい、一目置かれたい」っていう発想だと、どうなります? 無意識にマウンティングしようとしたり、自分よりスゴイ人が出てくると萎縮したり僻んだりしちゃうかも。「自信がない、自信を持ちたい」と繰り返すその背後にあるのは、どちら側の視点でしょうか──

ズバ抜けてはいない「そこそこ良いもの」でも、喜んでもらえるなら需要はある

セレブでもない限り、あなたの身の回りにあるもの、普段使っているもの、すべてが「超一流」ってことはないと思うんですね。好みと予算に応じた「そこそこ良いもの」に囲まれていれば、かなり満足度が高い毎日と言えるんじゃなかろうか。

あなたが持ち寄れる、分かち合える才能が「超一流」とまではいかなくても「相手が喜んでくれる」レベルにあるなら、イイ線いってるじゃん!と自信を持っていいと思うんですよ。

そしてまだそこまで達してない、まだまだ修業中です。という人ならば、人より抜きん出ることを目標にするよりも、

どうすれば目の前の人を喜ばせられるかな?

と真剣に考えたほうが、結果として早くイイ線までいけると思いますよー

で、やっぱり根底にあるのは、まず【自分がそれを良いと思ってる】情熱とか愛かなと。好きじゃないと続けられないし、何より「好きのダダ漏れ」は、ダイソン以上の吸引力になるんですってば!笑

一見遠回りに見えるかもしれませんが、いきなり「仕事になる」レベルの才能を開発しようとするよりも、

「これなら嬉々として分かち合える」何かを見つけ、喜んでもらえるまでアレコレ試してみる

ほうが楽しいし、頑張れます。あなたも相手も嬉しくなるようなものとやり方、これが見つかればちゃんと「仕事」になりますから。評価され、報酬も得られますよ。

その「何か」が見つからないんだよーー!という人は、個人セッションでご相談に乗ります。色や数字、シンボルを手がかりとしたユニークなサポートを受けてみませんか?