もしかしたら明日、人生が終わるかもしれない。と思った時に

神在月の稲佐の浜より、夕陽を臨む

最初にやって来たのは、怒濤のような「愛おしさ」でした。

人生に対して、自分自身に対して、パートナー、これまでに出会い関わった人、もの、ことのすべてに、この世界を構成するありとあらゆる要素に、

切なさと喜びが入り交じった、凄まじい感情の洪水。何を見ても、何を思い出してもキラキラと輝いて見え、胸がいっぱいになるし、きゅうっと締め付けられる。

悩みや痛みも、今「生きている」から味わえるんだな、と思ったら、感謝と愛おしさしか出てこない。何コレ、わたしマジで明日終わっちゃうのか?

と思えるほどに強烈な体験でした。そして実は今も、この感覚は続いていて……何をするにしても

それは本当に「やりたいこと」か?

と自分に問いかけていたりするのです。そうでもないな、と思うと、サッと気持ちが離れる。かといって、一分一秒を惜しむ……という感じでもなく、疲れたらゴロンと横になるし、昼寝も楽しむ。それもまた「生きてるから出来ること」だし「今、やりたいこと」だったらオッケー!という感覚です。

あまりにこのモードが作動しすぎると、究極には「すべてが在るがままでOK」となって、マジで今日人生が終わっても悔いなし。という感じになるので、ちょうど良い頃合いを見つけているところです。笑

写真は、神在祭初日の出雲「稲佐(いなさ)の浜」で見た夕陽です。実際はもっと黄金に輝いていて、実に神々しかったですよ。

出雲へ出向いたのは、たまたまその日が夫婦揃ってぽっかり休みで、かつ奥出雲が「新そば祭り」をやっている!というのをネットで見かけたから。なのですが、せっかくやし……とお参りにいった出雲大社で、前日(6日)の夜に「神迎(かみむかえ)神事」が行われていたことを知ったのでした。

もしかしたら明日、人生が終わるかもしれない。という「思い付き」は旅立つ前夜に突然やってきたのですが、この黄金の夕陽を見た時に、

今、生きてることってホンマに奇跡なんやなあ。

と素直に思えました。人生、というか「わたし」は奇跡で出来ているんだな。と。

ここのところ本当にポンコツからのボンヤリとした日々でしたが、軽く生まれ変わったような気分です。言葉にすると、本当に軽いんですけども。笑

いつも読んでくださってありがとうございます。また明日もお目にかかれますように。